ネット上でこの映画が酷評されているのを、チラホラと読みました。
「期待していたのと、何か違う」という、そのお気持ちは分かります。
でも聞いて。悪いのは映画じゃないと思うの。何か「地雷を踏んで一歩も動けない極限状態!砂嵐や敵が次々と襲い掛かるなかで、どうやって生き残るのか?!」みたいな、サバイバルアクション的な宣伝の仕方をしてる人たちが悪いんだと思うの。
実際、私と一緒にこの映画を観ていた連れは、映画が終わったあとにポカーンとしてましたよ。でも、それは「兵士が敵地で地雷を踏んじゃって動けないっていう設定なんだって!面白そうじゃない!?」って言って誘った私に全責任があるんだよ。
あたかも「サバサバした性格の子だよって聞いてたのに、会ってみたらメソメソ女だった」みたいな、裏切られた感ですよね。でも、メソメソ女って見方によっては感受性豊かな魅力的な女性なんです。この映画もそれと同じさ。
というわけで、個人的には大好き!大人のための寓話「アローンALONE」のネタバレなし感想、いきます。
鑑賞のまえに
2016年製作/アメリカ・スペイン・イタリア
時間:106分
監督:ファビオ・レジナーロ、ファビオ・ガリオーネ
出演:アーミー・ハマー、クリント・ディアー
・【注意】ハラハラドキドキのサバイバルアクションを期待しないこと。
・主人公の内面の成長を描いた、寓話的な映画です。独りぼっちの砂漠で、過去の記憶や幻と対話しながら人生の答えを見つけるまでを描いています。
・トム・ハンクスの「キャスト・アウェイ」にも近いものがありますが、一番近いのは「スイス・アーミー・マン」かも(※この映画には下ネタとか笑いはありません)。
感想
この映画の中心となるのは、砂漠の真ん中で地雷を踏んで一歩も動けなくなってしまった主人公と、そんな彼のところに気ままにやってくるベルベル人の男との会話です。
地平線の向こうからひょこっと現れ、教訓めいた言葉を口にして去っていく男の存在が、この映画におとぎ話のような魅力を与えています。(ただ、この非現実的なのんびり感が、アクションを期待して観た人を苛立たせているのも事実ですが…)
「あんたは一歩踏み出さないと」
この男はとにかく主人公に「前に進め」としつこく言います。
「だから、俺は足の下に地雷があるんだよ!!」と激怒する主人公。
足を持ち上げたらその場でドカンで、現に目の前には先に地雷を踏んで死んでしまった相棒の死体が転がっている状況です。主人公の反論はもっともなのですが、男は飄々とした様子で「あんたはラッキーだ。地雷を踏んでもまだ生きてる」と言ってのけます。
その地域の地雷の不発率は7%なので、主人公は「どんな強運の持ち主でも、生き延びられる可能性は7%しかないんだ」と言いますが、男は笑って「7%か。悪くないね」と返すのです。
素直な心で聞くと、主人公とベルベル人の男との会話はとても興味深く、私はいつしか男の言葉に引き込まれてしまいました。
そうか、地雷を踏んでもまだ生きてるってラッキーなことなんだ。
7%……確かに悪くないかも!
……とまでは、さすがに思えませんが。笑
主人公の青年や私は、地雷なんかと縁のない安全な暮らしがあることを知っています。
安全に道を歩けて、安全な水が飲めて、しっかり戸締りしておけば朝まで安全に熟睡できる生活です。だから生存率7%なんて宣告されると怖くて漏らしそうになるわけですが、もっと日々危険と隣り合わせな生活を送っている人だって沢山いるんですよね。
だから生存率何%だったら恐怖を感じずにいられるのかは、実際のところ人それぞれ。
7%だからってビビッてフリーズしてたら、人生何もできねーよっていうベルベル人の男の理屈は一応理解できます。
多分この映画が描いているのは、ごくシンプルに「恐怖をどう乗り越えるか」ということだと思うんです。地雷はまさに人がそれぞれ内面に抱えている恐怖の象徴。地面の下に隠れていて、他人からは見えない。でも本人にとって足の下にあるそれは非常に大きな問題で、そのせいで人生を踏み出すことができずに悩んでいる人が大勢います。
この映画の主人公が心の底に抱えている恐怖は、幼い頃の父親の暴力の記憶、そして「自分は父親と同じような人間なのではないか」という自分自身への疑いの気持ちでした。
過去のいくつかの回想シーンにおいて、主人公の心に恐怖が刻み込まれた瞬間には足元で地雷がカチッと鳴り、恐怖で動けなくなっていることが分かりやすく表現されています。つまり、今砂漠の真ん中で地雷の上で立ち止まっている状態は、これまでの人生で恐怖に負けて一歩踏み出すことができなかった場面すべてを象徴しているわけです。
だからこそ、ベルベル人は「一歩踏み出さないと」と語り掛けてくる。今まで同じ過ちを繰り返してきたけれど、今こそ父親の恐怖と呪縛を乗り越えて自分の人生を取り戻すよう、優しく諭しているのでしょう。
実際、主人公は故郷アメリカに恋人がいるのですが、「自分は愛する人を幸せにできない男なんじゃないか」という恐怖と疑いに囚われていて、結婚に踏み出せずにいます。彼女は「あなたが抱える問題に打ち勝って、無事に戻ってきて」といって彼を送り出してくれました。彼が自分に自信を持つことができれば、きっと幸せになれる2人。傍から見ているともどかしい状況ですが、1人ひとりの心の問題は、生存率7%の地雷のように本人とっては深刻なんでしょうね。
私には暴力のトラウマのような深刻な問題はないのですが、それでも何やかんやと心配のタネを探して「どうしよう、どうしよう」と勝手に怯えているときがあります。先進国で比較的安全に裕福な暮らしをしているはずの人たちが、「人から馬鹿にされたらどうしよう」「貯金が足りなくなったらどうしよう」「孤独な老後を送ることになったらどうしよう」と、ありとあらゆる地雷を自分で探してきて足の下に埋め込んでいるような光景は、ベルベル人の男からすると滑稽なのかもしれません。
彼は主人公にこう尋ねます。
「ベルベル人という名前の意味を知っているか?」
「いいや」
「ベルベル人とは“自由な人”という意味だ」
そして笑うのです。「あんたは違う」
「あんたが動けないのは恐怖心のせいだ」
「明日生きてる保証なんて誰にもない」
「ただ運命に従うだけさ」
確かに、悪いことが起きる可能性を考え始めたらきりがありません。自動車に轢かれて死ぬ可能性があるからといって、家にずっと引きこもっているだけの人生なんて最悪です。
恐怖から解放され、いつだって自分が行きたい方向だけを見て前へ進んでいくのが、本当の意味での自由なのかもしれません。
リスクを一切考えない生き方が絶対に正しいとは、私は思いません。
実際、このベルベル人は商売のために地雷を掘り出していたときに事故に遭い、一緒にいた娘と自分の脚を失っています。生活のために選択肢がなかったといえばそれまでですが、彼も娘の死を悔み、恐らくはそんな作業に娘を連れて行った自分を責めたことでしょう。
けれど、それでも人生は続いていきます。
ベルベル人の男は自分を手当してくれた女性と恋をし、新しく家族を作ります。
彼は一度悲惨な事故で子どもを失っていますが、また2人の息子の父親になります。
そして今も砂漠に埋まっている無数の地雷の側を通って、主人公のところへやって来たのです。
ベルベル人の男性は、恐怖に囚われて立ち止まってしまうという主人公の気持ちが痛いほど分かっていたからこそ、彼にあれこれ構っていたのかもしれません。
「“自由な人”になれ」
これからも生きていくのなら、それしか道はないということを、見ず知らずのアメリカ人に伝えようとしていたのでしょう。
今回は結末には触れたくないので、このへんで感想文を切り上げておきます。
(とても良いラストでしたが、個人的に納得できないシーンもあったので)
主人公がどのような道を進むのか、ぜひ自分の目で確かめてみてください。
父親の呪縛を乗り越えるって大変なことなんですね……私は父親から「生意気で小賢しい人間になる」と言われて、そのまんまの人間になった自分が愛おしくて仕方ないです。だって父親にそっくりだからね!笑
ちなみに映画と本が大好きなのもパパ譲り。お父さん、人生の楽しみ方を教えてくれてありがとう。
最後まで読んでいただきありがとうございました!
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