芸術にとって邪魔なもの~「デリシュ!」ネタバレ感想~

ドラマ

“美食”って芸術ですか?

私は長いこと「あまりそうは思わない」派でした。高級レストランのお料理は美味しいと思うし、仕事で一流の料理人とお話させていただく機会もあってリスペクトはしていました。

でも芸術かって聞かれたときに、心のどこかに「う~ん、そこは何か認めたくないんだよなぁ」という思いがあったのです。その理由が何だったのか。答えはこの映画にありました。

フランス映画にしては割とエンターテイメントしていて、誰でも楽しめる作品だと思います。でも画面いっぱいに美味しそうな料理が映るので、夜中の鑑賞は注意。

それではネタバレ感想、いきます。

鑑賞のまえに

2020年製作/フランス・ベルギー

時間:112分

監督:エリック・ベナール

出演:グレゴリー・ガドゥボワ、イザベル・カレ、他

・革命前夜のフランス。崩壊寸前の貴族社会と、そこに仕える料理人の姿を描いた歴史もの

・お世辞にも美男美女とはいえない、中年男女のロマンス…なのにけっこうときめく!

・美味しそうなお料理と、フランスの明るい田舎の景色が目にご馳走です

あらすじ

ときは革命直前のフランス。一流の腕を持つ料理人のマンスロンは公爵のお抱えとして城で働いていました。しかし、ある晩餐会でオリジナルメニューの“デリシュ”を提供したことで公爵の怒りを買い、城を追い出されてしまいます。その後は故郷に戻って旅籠の主人になりますが、料理という生きがいを失くし意気消沈していました。

そんなある日、マンスロンのもとにルイーズという女性が現れ「自分を弟子にしてほしい」と頼みます。マンスロンは料理人はやめたと言って断りますが、真摯に料理に取り組み、持ち前の前向きさで旅籠を改革していくルイーズに次第に惹かれていき…

感想

私が美食を芸術だと思えなかった理由。それはまさに、この映画の冒頭に出てくるフランス貴族たちの晩餐会のイメージにありました。

おかしなカツラを被って気色悪い化粧をした貴族たちが、絶対食い残すであろう大量の料理を前にして気取ったアホ面。テーブルを行き交う会話の内容は、人の陰口、見下した笑い、そして下ネタ。酔っぱらった挙句の果てに、豚の鳴きまね。

こいつらの存在が美しくないねん。

「一流の料理が庶民に理解できるはずがない。まさに豚に真珠だ」

って、豚が言うとんねん。

もうコントやろ。料理も貴族コントの小道具やろ(ルネッサ~ンス!)。

力が入って思わず地元の方言と懐かしのひぐち君が出てしまいましたが、“美食”というものは、私の中ではそれを食べてる俗悪な貴族のイメージと切っても切り離せないものなのです。

料理の喉越しを何度も楽しむために、食ったそばから吐き出して胃を空にし、半日かけて食い続けていたとかいうローマ貴族とかね。食事で汚れた指は、奴隷たちの髪で拭いていたとか。そういうの、美しくないでしょう?

じゃあ現代なら話は違ってくるのか、というと…。今の時代も結局一流レストランで食事をする一定数の上流階級の人たちの根底には、美しくないものが流れてるんじゃないですかね。

「このレベルのお店になると、そのへんの店とは客層が違うから」

その選民意識が、もうすでに美しくないのです。あくまで私個人の感覚ですが。料理って一瞬のものだし、高級な料理の価値を享受できるのは限られた人=お金持ちだけです。

だからどうしても「庶民には味わえない、選ばれた者だけの特権」という意識に結びつきやすいのではないでしょうか。

話が脱線してしまいましたが、そんなこんなで私の中では「美食は芸術ではない」というよりも「それを享受している奴らのイメージが美しくない」という感覚がありました。

そんな私の偏見をバッサリと切り捨て、「美食もやっぱり芸術だよね!」と思わせてくれたのが、この映画「デリシュ!」の主人公マンスロンです。

マンスロンは公爵お抱えの料理人で、さきほど説明した晩餐会の料理責任者。その場にいた聖職者から新作のパイの材料について尋ねられ、「ジャガイモとトリュフです」と答えたマンスロン。すると聖職者は「地下にあるものを使うとは不届きな!」と怒りだし、「ジャガイモとトリュフは豚にでも食わせておけ」と皿ごとマンスロンの足元に投げ捨てます。(これに同調したアホ貴族の1人が豚の鳴きまねを披露するわけです)

客人たちを侮辱したとして、マンスロンにその場で謝罪を求める公爵。当時の貴族にとって、晩餐会の料理は自身の社会的地位を築くための手段でもあったため、公爵も結構必死です。しかし、温厚で忠実な使用人であるはずのマンスロンは、なぜか謝罪は断固として拒否します。

それはなぜか?

「だって、ジャガイモって美味いじゃん」

「俺は料理人として仕事をしただけだ。究極の味を追求して、それを提供した」

「え、何か問題あります?」

マンスロンの心境は実際にはこんな軽いノリではなかったでしょうが、つまりそういうことなのです。

これぞ芸術だよね!!!

世間に迎合するのではなく、打算を働かせるでもなく、己の信じる“美”をとことん追求する姿勢。間違いなく美食は芸術です、少なくともマンスロンが作る料理は。

しかしながら一介の平民が貴族に逆らってただで済むはずもなく、マンスロンは公爵に解雇され、実家に戻って街道沿いの旅籠の主人になります。煌びやかな貴族たちの食事風景から一転、暗くてジメジメした旅籠はいかにも食欲がそそられない感じです。

ずっと最高の環境で料理をしてきたマンスロンがそんな場所で頑張れるはずもなく…「もう料理人はやめた」と心を殺して日々を生きています。しかし、マンスロンの内心には実は一つの思惑がありました。

「私は技を磨き上げて最高の料理を提供してきた。だから自分と同じレベルの料理人なんてそうそう見つかるはずがない。いつかきっと公爵は私に戻ってきてほしいと思うはずだ

美食の国フランスでは、料理はただの享楽ではありません。最高の料理で地位の高い人間をもてなすことによって出世し、ときに美食は外交の切り札にもなり得るのです。つまり一流の料理人はそれだけ人材価値が高く、マンスロンもそれを知っていました。

マンスロンは最高の料理を作ることに人生を捧げた男です。彼の生きがいは美食の追求であり、そのためには高級な食材や最高の設備を用意できる、貴族の後ろ盾が必要不可欠なのです。マンスロンにとっては「美食=貴族に提供するもの」というのが当然の認識で、自分自身のためにも公爵の城に戻るしか道はないと考えています。

一方マンスロンの助手も務める息子は、もっと広く社会の情勢を見ていました。あくまでも貴族に縋ろうとする父親に不満を持ち、公爵のもとを離れたことを機に新しい生き方を探ってほしいと願っています。

そんな2人のところに、ある日1人の謎めいた女性ルイーズが現れました。マンスロンの料理の評判を聞き、弟子にしてほしいと頼み込みます。素性を明かさない彼女でしたが、マンスロンはその立ち居振る舞いを見て「そんな歩き方をするのは貴族の女か娼婦だけだ。貴族ならこんなところにいるはずがない」と断言するのです。

…が、しかし…。このマンスロンの台詞でピンときた人も多いと思いますが、彼女は実は正真正銘の貴族でした。公爵の誘惑を拒んだことから、彼女の夫の侯爵は破滅させられ自殺に追い込まれます。(冒頭の晩餐会のシーンで公爵がその話を笑いのタネにしています)。彼女は夫の復讐を誓い、マンスロンが城に呼び戻されて再び公爵の食事を作るようになるはずと目算をたて、毒を盛るために身分を隠して彼に近づいたのでした。

彼女の思惑どおり、公爵はマンスロンが旅籠で料理を提供しているという噂を聞きつけ、彼のもとに来訪するので食事を用意しておくように言いつけます。待ちに待ったチャンス到来と張りきって料理の準備に奔走するマンスロン。

しかし、準備の最中に旧友がワイン樽の下敷きになって亡くなったり、公爵が急に来訪の予定を早めたりと、様々な試練が降りかかります。それでも黙々と料理に打ち込むマンスロンに息子が怒りをぶちまけ、勢いあまって火のついた燭台を倒してしまいました。あっという間に料理を保存していた貯蔵庫は火につつまれ、マンスロンの数日がかりの努力は灰になります。

もう間に合わないと落ち込むマンスロンをルイーズは励まし、2人は何とか公爵の食事会の準備を完成させます。緊張しながら公爵が通る道沿いに立ち、出迎えの体勢をとるマンスロン。ついに公爵の馬車がやってきた…と喜んだのも束の間。なんと公爵と連れの女性は高笑いしながらそのままマンスロンの前を馬車で走り過ぎていったのです

公爵の使いから「公爵は空腹に耐えかねて、手前の旅籠で食事をされた。また近々来訪の機会があるだろうから期待して待っておくように」と告げられ、がっくり落ち込むマンスロンの姿が痛々しく、見ているこちらも息子とルイーズと一緒に怒り狂いたい気分です。

ね、貴族って美しくないでしょ?

労働者がどれだけ心血を注いで素晴らしい仕事をしても、その尊さなど微塵も理解せず、笑いながら踏みつけるだけ。

誰かのために自分の労力や時間を捧げる労働は尊く、美しいものです。人間の社会は互いの労働によって支えられ、機能しています。そんな労働というものを下に見て、ただ消費するだけの人間は不要で不浄なもの…言うなればハナクソみたいな存在です。

当時のフランスの美食文化は、そんなハナクソまみれなので美しくない。じゃあ、どうすればいいのかというと…汚いものは取り除くしかありません。

公爵への復讐が叶わなかったルイーズは、マンスロンに自分の正体を打ち明けます。マンスロンは自分を騙していたことを責めてルイーズを追い出そうとしますが、その直後落馬して大怪我したことにより数日寝床から出られなくなりました。その間にルイーズはマンスロンを献身的に看病し、さらに軍人の団体を招いて美味しい料理を振る舞い、旅籠を繁盛させていました。

マンスロンの息子は「これからは美味しい料理は貴族だけのものじゃない。すべての人に開かれたテーブルを用意し、料金に応じて料理を提供すべきだ」と語り、ルイーズと協力して旅籠を改革していきます。こうして田舎の小さな旅籠から、大衆のための“レストラン”のスタイルが生まれたのです。

自分は思っていたほど貴族社会で必要とされる存在ではなかったのだ…目を覚ましたマンスロン。その後はルイーズと息子とともにレストラン「デリシュ」の経営に邁進します。もう自分の料理には貴族なんて必要ない。使える食材や設備に限りはありますが、マンスロンは新しい環境でも美食を追求し、「デリシュ」を繁盛させました。

一方のハナクソ公爵はというと…散々偉そうに振舞っていましたが、実はマンスロンの美味しい料理が食べられなくなって内心はすっかりしょげかえっていました。ある夜城を訪ねてきたマンスロンに「私の新しい料理を食べて講評をしていただけないでしょうか」と頼まれて、ホクホク顔のハナクソ。

念願の美味しい料理を堪能できる!と、公爵は愛人を連れてマンスロンの旅籠を訪問します。しかし案内されたのは沢山あるテーブルの中の1つ。しかも周りのテーブルには、次々と人が案内されてきて気ままに注文をして食事を始めます。どうみても貴族の食事の席にはふさわしくありません。違和感を覚えながらも、マンスロンが差し出したデリシュを口にする公爵。

そのとき自分たちのテーブルにやってきたルイーズの姿を見て、公爵は一気に青ざめます。毒を盛られたかと思って、口にしたデリシュを吐き出す公爵を見て、悠然と微笑むルイーズ。公爵は激昂して立ち上がり、マンスロンとルイーズを罵りますが、気づけば周りにいた客たちが自分たちに冷たい視線を向けています。

1人の女性客が「貴族を倒せ!」と叫んだことで場に緊張が走り、公爵は「兵を送ってお前たち2人を縛り首にしてやる」という捨て台詞を残して逃げ出していきます。しかし、その数日後、バスティーユ監獄が陥落し、フランス革命の火蓋が切って落とされたのでした。

映画はここで終わっていますが、多分ハナクソ公爵はマンスロンとルイーズの首を縛り上げる間もなく、自分の首をでっかい包丁で切り落とされる運びとなったのでしょうね。美食は芸術ですが、「そもそも食べることすらできない」という民衆の飢えは社会をひっくり返す、もっと巨大な力になります。美食と飢え。その2つしか存在しなかった当時のフランスの社会が崩壊してしまったことは、当然といえば当然の結果でしょう。(「パンがないなら、お菓子を食べればいいじゃなぁ~い」→DEATH)

……ま、革命後の恐怖政治の次には「デリシュ!」の時代に輪をかけた、貴族のための美食の時代がくるんですけどね!!

皇帝ナポレオンの参謀としても活躍した政治家タレーランは、フランスの美食文化を外交上の最大の武器としていました。彼のお抱え料理人アントナン・カレームはまさに料理を芸術の粋に高めた人物としてフランスの歴史に名を残しています。

そのアントナン・カレームですが、フランスの社会情勢が不安定な中、幼い頃に経済的に困窮した親に捨てられ、一時期はパリで浮浪児として生き延び、何とか大衆食堂の手伝いの口を見つけて料理の世界に入ったという生い立ちの持ち主。

美食の都だった当時のパリも、料理をつくる厨房は換気が悪くて常に煙がたちこめ、そこで働く料理人たちは体を壊すことも多かったとか。アントナン自身もそのような劣悪な環境と、貴族のために毎晩手の込んだ晩餐を用意しなくてはならないプレッシャーと過労に蝕まれ、49歳の若さで亡くなっています。

自分たちが口にしている料理を作っている人たちが、陰でそんな思いをしているなんて想像することすらないお気楽貴族たち。料理人たちが命を削って作った料理を食べて「まあまあね」とか言ってたんでしょうね。

ああ、美しくない…。

まあ、美食に限らず絵画でも音楽でも、芸術には多かれ少なかれそういう側面があるのでしょう。

主人公が自分の料理という芸術にとっての邪魔者=貴族社会を最後に切り捨てることで、スカッと爽快なエンディングを迎える「デリシュ!」。フランス革命直前というドラマティックな時代設定にも関わらず、1人の料理人の「どう生きるべきか」に焦点を絞り込んでいるところが好きでした

最終的に貴族社会と完全に決別する点以外は、英国貴族に仕える執事を描いたカズオ・イシグロの小説にもどこか通じるような…。「日の名残り」の別エンディングのような感覚で鑑賞しても楽しめるかもしれません。

ちなみに貴族社会という不快なノイズを一切取り除いて、純粋な芸術としての美食の物語を楽しみたいならデンマーク映画「バベットの晩餐会」がおすすめです。死ぬまでにもう一度だけ、自分の最高の芸術をこの世に生み出したかった…という料理人バベットの言葉に涙がこぼれます。

こんなに豪勢な料理ではなかったとしても、食事をするときに、それを作ってくれた人がどんな思いで料理していたのかを想像することは大切だと思います。食事は尊いもの、それを支えてくれている労働も尊いもの。「デリシュ!」は、改めてそんな気持ちにさせてくれる映画でした。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました♪

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