誰かに愛されているかぎり、人間には生きる価値がある~「ボーンズ・アンド・オール」感想~

ラブストーリー

「君の名前で僕を呼んで」の監督作とのことで、非常に映像が美しい作品でした。

この映画の画づくりでは、アメリカの写真家ウィリアム・エグルストンの作品を参考にしたそうですね。

先日ちょうどウィリアム・エグルストンの写真集を買いました。京都の古本祭りで出会って(でも高すぎて買えなくて…)、それから1年ず~~っと探し続けて、念願の写真集をやっとメルカリで購入。古本祭りの価格の3分の1になってました。

そんな私と違って、監督はピカピカの1冊を眺めて構想を練られたのでしょうが…。「君の名前で~」の明るいイタリアの風景とは違った、感傷的なアメリカン・シーンが心に残ります。

「カニバリズム」という、どうしてもショッキングな映像を避けられないテーマなだけに、この監督がこの物語を撮ってくれて良かった、という感じです。

不快な映像は少なめですので、ホラーにはアレルギーがあるという方もできたら観てほしい。そんな願いを込めて、ネタバレなしの感想いきます。

鑑賞のまえに

2022年制作/アメリカ

時間:130分

監督:ルカ・グァダニーノ

出演:ティモシー・シャラメ、テイラー・ラッセルなど

・要素としては、ホラー1:恋愛4:青春5くらい

・ただし大量の血やむき出しの内蔵などが映るシーンはあるので、鑑賞には注意

・全体としてはアーティスティックな映像が美しいロードムービーです

あらすじ

「人を食べずにはいられない」という特殊な体質を持つ、17歳の少女マレン。人目を忍ぶように生きてきた彼女ですが、あるとき高校の同級生の手の肉を嚙みちぎるという事件を起こし、ついに耐え切れなくなった父親は彼女を置いて家を出てしまいます。独りぼっちになったマレンは、生まれてすぐに離れ離れになった母親を探して、旅に出ました。

旅をするなかで自分と同じ人食いたちと出会い、自分たちの生き方を客観的に見つめることになったマレン。人の命を奪うことへの罪悪感が大きくなっていき悩むマレンの前に、彼女と同年代の人食いの青年リーが現れます。すぐに惹かれ合った2人は一緒に旅をすることになりますが…

感想

「人を食べずにはいられない」という性を負った若者たちの物語です。監督の代表作「君の名前で僕を呼んで」は、同性愛への風当りが厳しかった時代のゲイカップルのお話でしたが、こちらも持って生まれた性質のせいで、社会から受け入れてもらえないことに悩むという構図が共通していますね。

受け入れてもらえない…というよりも、この映画の主人公マレンは明確に自分自身の罪悪感に苦しめられています。食べずにはいられないのは普通の人間と一緒といっても、マレンの食欲の対象は自分と同じ人間です。誰かの人生を壊さなくては、生きていけない。そんな自分は怪物なのか?この世界で私達が生きている意味って何なのか?を映画を通して自分自身で問い続けています。

マレンは元々母親から“人食い”の遺伝子を受け継いでいて、父親はごく普通の人でした。母親は通常の生活を送ることが難しくなり、家族の元を去ります。まだ幼いマレンの“人食い”行為に悩まされた父親は、できるだけ娘を世間から隔絶して育てるよう苦心します。しかし、できれば普通の人生を送らせてあげたいという思いもあり、父親はマレンを学校には通わせていたようです。

そしてマレンが高校生のとき再び“事件”が起こり、父親はついにマレンと一緒に暮らすことを諦めます。彼女の生い立ちについて語るカセットテープと当面の生活費だけを置いて、父親は永遠に彼女の元を去ってしまいました。

映画は、たった一人の家族である父親に置き去りにされたマレンが、自分の生きる道を探して旅に出るところからスタートします。そして自分の母親を含め、何人もの自分の“同類”と出会うことで、あらためて自分たちの存在について深く考えるようになるのです。

そう、マレンは元々父親ができるだけ家に閉じ込めて育ててきたので、これまで自分と同じ“人食い”と一切接することがなかったのです。なのでマレンは「こんな人間は自分だけだと思っていた」と言います。

これまで自分だけが普通と違うんだと思っていたのが、広い世界には仲間が大勢いると分かる。それは孤独なティーンエイジャーにとって非常に心強く、一夜にして世界の見方が大きく変わるような発見だったでしょう。

ただし、そうやって自分に対して開かれた世界が美しいものとは限りません。「みにくいアヒルの子」のように、自分の仲間の姿を見て「私って本当は綺麗な白鳥だったんだ」と思うことができればいいのですが、マレンが目にした“人食い”達は世間がイメージするとおりの“醜く、気味が悪く、グロテスクな”人間ばかり。

特に最初に出会った同類・サリーのインパクトは強烈です。まるで二重人格者のように自分自身のことをサリーと呼ぶ、奇妙な話し方をします。人との距離感が分かっていない接し方や、極めつけは自分が食べた相手の髪の毛をコレクションするという奇妙な習慣。一言で言って生理的に気持ち悪すぎるのです。

映画中盤でサリーと同じような中年の人食いと出会いますが、こちらも脂じみた長髪や、虚言を交えた話し方が不気味な男でした。彼らの姿にショックを受けたマレンは、自分も彼らの同類なんだと考え、悩みが深まっていきます。

ただし、サリーや長髪の人食い男の気味の悪さは、実は“人食い”特有のものではありません。ずっと閉じられた世界にいたマレンには馴染がなかったかもしれませんが、映画の外の現実世界でも、私達は彼らのような人たちを目にすることがあります。彼らは特殊な性質を持つ化け物でもなんでもなく、ただ孤独な人たちです。

社会からのけ者にされた人たち。愛してくれる人がいない存在。他者の目を気にすることがないから、話し方も見た目もどんどんグロテスクに不気味になっていくのです。

私はこの映画では“他者から愛してもらえるか”というのが大きなテーマになっているように感じました。

マレンたちは「人を食べずにいられない」という反社会的な性質を持っているので、当然この点において大きなハンディキャップを背負っています。サリーは子供の頃に家を飛び出してからはずっと一人で孤独に暮らしてきました。マレンの母親は普通の人間である父親と恋をしましたが、結局その結婚生活は悲劇的な終わり方をしています。そして一人精神病院に引きこもってからは、サリーを上回るほどグロテスクな状態に陥ってしまいました。

彼らは(少なくとも外見的な意味では)人を食べるから化け物になるのではなく、誰からも愛されないから化け物になるのです。

じゃあ、もし誰か自分を愛してくれる人を見つけることができたら?きっとサリーやマレンの母親のようになることは避けられるのでしょう。マレンはたった一人の家族である父親に捨てられてしまいましたが、それでもこんな自分を愛してくれる“誰か”を無意識のうちに求めて、まだ会ったことのない母親を探す旅に出たのではないでしょうか。

そしてその旅の途中で、自分と同世代の人食い・リーに出会います。気持ち悪いサリーとは違って、彼は若者らしく爽やかで魅力的な風貌。人食いの性を負って一人で放浪の旅をするリーですが、彼には帰りを心待ちにしてくれている妹がいました。笑顔でじゃれ合うリーと妹の姿は、ごく普通のティーンの兄妹としてマレンの目に映ります。彼女がリーと一緒に旅をしたいと思ったのは、私もこんなふうになれるかもしれない…そんな希望が心に浮かんだからかもしれません。

マレンとリーはすぐに惹かれ合い、恋人同士として車で旅を続けます。けれど「人を食べずにはいられない」という罪悪感は、2人の関係にも暗い影を落としていました。2人がそれを乗り越えて、互いに「相手に心から愛されている、受け入れられている」という安心感が得られるようになるのかを、私達はこの映画で見届けることになります。

自分を愛してくれる誰かを見つけることができたら…自分もこの世界で生きていていいんだと思える。私はこの映画を観て、20世紀の名著「夜と霧」の著者の言葉を思い出しました。

自身もユダヤ人としてナチス・ドイツの強制収容所に入れられた心理学者ヴィクトール・E・フランクル。強制労働と計画的な虐殺しか存在しない世界で生きる人々を観察してきた彼は、戦後の講演会で「人間の価値」について「誰か一人でも愛してくれる人がいる限り、その人には生きる価値がある」と断言しています。

たとえ何の役にも立てなかったとしても…たとえ生まれながらに人に害をなす存在だったとしても…そのせいで親からも見捨てられたとしても…誰かひとりでも自分を愛してくれる人がいたら、生きる価値があるんです。

世界的に優生学が幅を利かせていて「どんな人間が生きるべきで、どんな人間は生きるべきでないのか」を学者たちが真剣に議論していた時代。そんな中で自分自身も生きる価値を問われる経験をした一人の学者が出した、これはとても尊い結論だと思います。

家族からの愛は失ったけれど、自分の力で世界を開き、リーという大切な存在を見つけたマレン。ここでは映画の結末を詳しく語りませんが、あのラストシーンはマレンが永遠にリーの愛を身の内に感じながら生きることができる、という希望を表現していたのかな…と個人的には思っています。

ショッキングな映像も多い映画ですが(実際私は夜に観るのは怖くて、お天気のいい昼間にカーテン全開で鑑賞しました…)、でも観る価値のある映画だと思います。フランクルの著書を数冊読むのは大変でも、この2時間ちょっとの映画を観るだけでそのエッセンスに触れられますしね(多分)。

興味を持たれたら、ぜひフランクルの本のほうも手に取ってみてください。件の講演内容は「それでも人生にイエスという」という1冊にまとめられています。本のタイトルは怪しげな自己啓発書みたいな感じで、私も最初ちょっと敬遠していました…。(ちなみにこのタイトルは収容所にいた人々が歌っていた歌の一節からとられたそう)でも内容は本当に素晴らしいです。「優秀な人間だけが生きるべき」という思想に染まったナチス・ドイツに、重い障害をもった我が子を奪われた母親のエピソードは胸を打ちます。

マレンたちのように「人を食べずにいられない」という遺伝性の性質を持っている人は実際にはいません(…よね?)。けれど、たとえば自分が歴史上有名な「腸チフスのメアリー」みたいに、致死率の高い病気を人にまき散らすようになってしまったとき、生きてるだけで皆を害する存在になってしまう。そうなったら自分に責任がなくても「私は化け物なの?生きてちゃいけない存在なの?」と悩むでしょう。

でも誰かひとり、たった一人でも愛してくれる人がいるなら、生きていていい。自分に対しても他人に対しても、この言葉を忘れたくないなと思いました。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました♪

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