青春に正しさは求めない~「マッド・ラブ」ネタバレ感想~

ラブストーリー

ベタなティーンエイジャーの青春ラブ・ストーリー。

でも、個人的にちょっと思い入れのある映画です。

私は、この映画がきっかけで「映画の感想ブログを書きたいな」と思うようになりました。

というのも……ラストの余韻が良くて「他の人の感想も読もう~♪」と検索をかけたのに、この映画の感想を書いてる記事が当時は全然出てこなかったから!!笑

いつも好きな映画は鑑賞後に他の人の感想や考察を読むのが、ラーメンの後の替え玉的な楽しみだった私。探せど探せど感想ブログが見つからなくて、飢えが満たされないままにその夜は更けていきました…。

そのときから私のモットーは「the World is Not Enough」。まだまだ感想記事が充実していない映画も多いと思って、映画感想ブログも始めました。いつか「マッド・ラブ」の感想も自分で書こうと思っていたのですが…この映画を配信していたディズニープラスを解約してから1年以上経ってるから、映画の内容は完全にうろ覚え!!

それでも本当に素敵な映画なので、同じように感じた方に読んでもらえると嬉しいです。

それではネタバレ感想、いきます。

鑑賞のまえに

1995年製作/アメリカ

時間:99分

監督:アントニア・バード

出演:ドリュー・バリモア、クリス・オドネル

・90年代の懐かしくてセンチメンタルな雰囲気が魅力のラブ・ストーリー

・オープンカーで走るシーンが爽快、ロードムービーが好きな人にもおすすめ!

・今青春まっ盛りのティーンよりも、昔の恋愛を思い出したい大人世代向けかも

感想

「先のことなんか考えたくない。ただ今この場から逃げ出したい」

10代後半って、そういう危うい時期ですよね。特に自分1人じゃなくて恋人が一緒だと、無謀なことも可能に思えるものです。

この映画「マッド・ラブ」も、そんな高校生カップルのひとときの逃避行を描いています。主人公のマットは家庭に問題を抱えた高校生。父親との間には確執があり、母親のいない家で年下の兄弟たちの面倒を見ながら、何となく満たされない日々を送っていました。「今のくだらない日常が一変するような、何かすごいことが起きないかな」。10代・20代のそういう願望は、素敵な異性との出会いによって案外簡単に叶ってしまいます

ある日マットが自宅近くの湖を望遠鏡で見ていると、自分と同年代の見慣れない少女がジェットスキーをしている姿を目にします。少女の明るく無防備な笑顔に心惹かれるマット。その少女ケイシーがマットの高校に転入してきたことで、2人は急速に接近します。まだ10代ながら父性と包容力を感じさせるマットに、年のわりに幼い雰囲気のケイシーはべったり。無邪気にライブに行ってはしゃいでいる分には微笑ましい恋愛なのですが、次第にケイシーのマットへの依存が度を越していき、行動にも異様な様子が現れてきます

そう、ケイシーは心の問題を抱えており、マットと出会ったときにもメンタルが弱冠不安定な状態だったのです。良識のあるマットはそんなケイシーのノリに完全に合わせることはできず、彼女の「私と試験をさぼって学校を抜け出そう」という誘いに応えることができません。マットに断られたケイシーは、何と非常ベルを鳴らして試験を妨害してしまいます。

当然学校側から処分を受けたケイシー。彼女の両親は、恋愛は娘のメンタルに悪い影響を及ぼすと判断し、マットにこれ以上彼女に近づかないよう告げました。これに激昂したケイシーが大暴れして、打つ手がなくなった両親に精神病院に入れられてしまったことから、マットはこの悲惨な状況から彼女を救い出したいと考えるようになります。

こうしてマットの助けを借りてケイシーは病院を脱走。マットも家を出て、2人でわずかな荷物を持ってメキシコ(?だったような…うろ覚え)を目指して車を走らせるのです。

…無謀ですよね。大人になったら絶対できない。だってそんな逃避行、数か月で行き詰まるって直感的に分かるし。どんなに自分が「彼さえいれば他に何もいらない!」って思ってても、その相手には食べ物が必要だし、車にはガソリンが必要だからね。てゆーか、自分だって飲むし食うし新しいパンツも穿くし、剃刀がないと脚のムダ毛もボーボーだし。つまるところ、お金がいくらあっても足りないわけです。

でも、そんなこと考えちゃダメ。映画「今を生きる」でロビン・ウィリアムズも言っています。「カーペ・ディエム」。今この瞬間を精一杯に味わうことこそが、至上の喜びなのです。大人になったら嫌でも「正しいかどうか」、あるいは打算で生きるようになります。人生の真の喜びを味わえるのは、青春時代のひとときだけなのかもしれません。

実際にマットとケイシーがオープンカーを走らせる場面には現実の悲壮感というものがなく、ただただ若いカップルの幸せだけが伝わってきます。ジャケットにも使用されていた、ケイシーがオープンカーの上で飛行機のようなポーズをとって風を感じるシーンは、完全に「タイタニック」のアレのロードムービーバージョンですね

「私もあんな風に彼と旅をしてみたい」。理想化された青春の1シーンです。

ただ、私の心に強く印象を残したのは、この幸せいっぱいのドライブではなく、2人の旅が行き詰ったところでの砂浜のシーンでした。

ケイシーはドライブ中にテンションが上がり過ぎて、つい悪ふざけに走ります。運転中のマットに目隠しをし(あっぶな!!)、そのせいで車はものの見事にクラッシュ。多分このあたりから、マットはケイシーとの逃避行に無理があるという現実に気づき始めたのでしょう。ケイシーがまだ恋に恋している状態なのに対して、マットは少しずつ、いつか訪れる旅の終わりを意識するようになります。

それでも2人はテルマ&ルイーズ風に盗みにも手を染めながら、旅を続けようとしました。しかしケイシーの病状は明らかにどんどん進行していて、ある夜マットはケイシーが部屋中に大きく目を描いた紙を貼りだし、完全に錯乱状態に陥っているのを目にします。そのゾッとする光景を目の当たりにして、ついにマットは隠れてケイシーの両親に連絡をし、彼女を迎えにきてほしいと告げるのでした。

そのことに気づいたケイシーは、部屋を飛び出して浜辺へと走っていき、隠し持っていた銃で命を断とうとします。

私はこのシーンでの2人のやり取りを忘れてしまったのですが、それでも白いキャミワンピースを着たケイシーが銃を持ったまま砂の上に泣き崩れるシーンがすごく心に残っていて…ああ、未成熟でワガママな10代の女の子って、現実の世界では本当に無力だな。でもだからこそ、その弱々しさが美しいな。と思ったのを覚えています。

マットがケイシーと一緒にこれ以上旅を続けるのは無理だと思ったのは、正しい判断でした。その正しさこそが、2人の熱烈な恋が終わったことの何よりの証拠だったのですね。マットは銃を振り回すケイシーを懸命に説得し、ケイシーも最後にはもう泣いても喚いてもマットがこれまでのように自分に合わせてくれないことを悟りました。砂の上に座り込み、静かに泣くケイシーと、それを見守るしかできないマットの姿に、遠い日の自分を重ね合わせてちょっと感傷的な気分になったり…。

結局ケイシーの両親がやって来たことで、2人の旅はあっけなく終わりを迎えます。それぞれの現実へと戻っていった2人はもうこれからの人生を一緒に歩いて行くこともなく…別れた後にマットのところに届いた、健康状態が回復したらしいケイシーの写真と手紙のシーンで映画は終わっています。

私はこの手紙の一文がすごく好きでした。

「私は、今もあの逃避行を誇りに思っています」

10代でやることなんて、本当に誰でも間違いだらけです。

特に恋愛は下手に自信がついてしまうせいで、目も当てられないようなことを言ったりやったりします。

でも、そういう経験が人間を作っていくんですよね。親や教師の言うことだけを聞いていた子ども時代から、自分の感情に従って広い世界に飛び出していく青春時代へ。

新海誠監督の「秒速5センチメートル」にも、主人公の中学生が遠い雪国に住む初恋の女の子のところへ、一日がかりで電車を乗り継いで会いにいく話がありましたが、あの経験が彼の人生をどれだけ変えたことでしょうか。

危ないし、自分の子どもとかには絶対やってほしくない。なのに10代でそういう経験をすることに、私たちは無意識のうちに強い憧れを持っています。

ケイシーの最後の言葉には、そんな“正しい大人”になってしまった私たちの隠れた本音を射抜くような力強さがありました。

大人ぶっている自分自身に違和感を持つ、すべての元・ティーンに観て欲しい良作です。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました♪

コメント

タイトルとURLをコピーしました