良い映画でした。
子どもの頃、家に漫画「ちびまる子ちゃん」のコミックがたくさんあって、その巻末には「ほのぼの劇場」なる番外編のショートストーリーがついていたんですが、この映画を観ると何故かあの「ほのぼの劇場」を思い出します。
「ちびまる子ちゃん」の作者はエッセイの名手なだけあって、人が大人になるにつれて忘れてしまうような繊細な感情、子ども時代の儚い空気を描き出すのが本当にうまいんです。
この映画「秘密の森の、その向こう」も、そういった子どもの世界特有の空気感が見事に表現されていました。
同監督の「燃ゆる女の肖像」は文学的すぎて入り込めなかった、という人にもおすすめ。誰にでも感情移入しやすく、短時間で心温まる余韻が得られる良作になっています。
鑑賞のまえに
2021年製作/フランス
時間:72分
監督:セリーヌ・シアマ
出演:ジョゼフィーヌ・サンス、ガブリエル・サンス、など
・ほんのりSF要素が入った、母と娘の心の交流を描いたストーリー
・構図や色彩も絵画的で、フランスの田舎の一軒家や自然豊かな景色の美しさが楽しめます
・予告動画には「悲しいラストなのかな?」と思わせる要素がありましたが、そういうわけではないので、心が疲れているときの癒しにも
あらすじ
ある日祖母が死んだことにより、両親と一緒に森の中の母の実家を訪れることになったネリー。今では誰もいない空虚な実家で過ごすことに耐えられなくなったネリーの母・マリオンは、突然ネリーと父親を置いて出て行ってしまいます。不安な気持ちを抱えながらも、祖母の家が片付くまではネリーはその森で1人で遊んで過ごすしかありません。
しかし、ネリーが森の奥へと入っていくと、そこで自分にそっくりな女の子に出会います。しばらく2人で一緒に遊び、ネリーがその子に名前を尋ねると、彼女は「マリオン」と名乗りました。そして2人でマリオンの家に行くと、そこはネリーの祖母の家とまったく同じ間取り・内装ながら、ずっと新しい建物で…
感想
お母さんも、自分と同じ一人の人間。
その事実って、みなさんは何歳くらいのときに実感できましたか?私は、いまだに正しくは理解できていないかもしれません。心のどこかで母親は“私のお母さん”として不滅の存在だと思っている気がします。
でもけっこう同じような人って多いんじゃないでしょうか。私たちは介護や親の死を突き付けられて、初めて実感してショックを受けるのでしょう。
特に小さな子どもにとっての“親”というのは、完成されて揺らぐことのないイメージです。昔は自分と同じ子どもで、いつかは皺くちゃになって死んでしまうという事実は想像もできません。なので親はいつでも正しく完璧であるべきで、親が自分と同じように間違いを犯したり弱かったりすると「なんで?」と不安になるわけです。
この映画の主人公・8歳のネリーも、お母さんが突然自分の前からいなくなってしまったことで、おそらく胸のうちには色々な感情を抱いています。
ネリーの祖母、つまりお母さんのお母さんが亡くなったことで、家族は悲しい雰囲気に包まれていました。両親とネリーの3人で祖母の家(お母さんが育った家)を片付けることになったのですが、ネリーのお母さんは思い出の品々を目にしたことで心が不安定になり、ネリーとお父さんを置いてその家を出て行ってしまいました。お母さん自身からは何の説明もなく、お父さんからそれを聞いて静かに受け入れるネリー。
ネリーは年齢のわりには賢く大人びた子のようで、感情を表に出して親を困らせることはありません。大人たちの事情と都合に合わせて、それ以上の説明を求めることもなくただ淡々と従っています。でもネリーはまだ8歳です。お母さんが何も言わずにいなくなってしまって、森の中の寂しい家にお父さんと2人で残されてしまったら不安だし、心の中では「お母さんにはいつ会えるの?」と思っているはずなんです。
大人って、かなり狡い生き物です。ネリーが自分たちに合わせてくれているのをいいことに「この子はしっかりしてるから大丈夫」なんて言い訳をして、必要な説明もせずに置いてけぼりにしてしまうわけですから。
子どもが親に完璧なイメージを押し付けるように、親も子どもに「もの分かりのいい子」の役割を一方的に押し付けているんですね。
でも、本当はお互いが納得できるように、説明が必要だと思います。「親と子どもとは立場が違う」という壁を壊して、自分と同じ人間として相手を理解すること。難しいけれど、それが本当の理想の親子関係なのかもしれません。
この映画の主人公のネリーは、小さな奇跡によってそのチャンスを得ます。一人ぼっちで森に遊びに出かけたネリーは、そこで8歳の頃の自分のお母さんに出会うのです。ネリーが自分にそっくりな女の子(ネリーと彼女の8歳の母親を演じているのは実の双子!)に名前を尋ねると、その子は「マリオン」と名乗ります。自分のお母さんと同じ名前であることを聞いて、ネリーは驚くのではなく「やっぱり!」という笑顔を見せました。
さらに2人が出会った場所を中心として、ネリーが今住んでいる古びた祖母の家の反対側には、8歳のマリオンが住んでいる、まったく同じ間取り・内装の綺麗な家があるのです。マリオンに招かれてその家に足を踏み入れ、見覚えのある部屋をしげしげと眺めるネリー。そして家の中のある部屋の扉をそっと開けると、そこにはマリオンのお母さん、つまり若い頃のおばあちゃんがベッドに寝ていました。
家に帰ってからも、ネリーはこの不思議な出来事を自分の胸のうちにしまっておきます。むしろ大人も知らないすごい秘密を持ったことで何だか嬉しそう。その日からネリーとマリオンは特別な友達になり、2人で森の秘密基地やマリオンの家で一緒に遊ぶようになります。
子どもの頃の親と、ごく普通の友達として一緒に遊ぶって素敵な体験ですよね。でも私たち日本人はネリーとマリオンに出会うまえから、とある漫画の中でこれと似た体験をしています。子どもたちの「こうだったらいいな」を簡単に叶えてくれる存在…そう、ドラえもんです。
ドラえもんの漫画の中では、のび太はタイムマシンに乗ってパパやママの子ども時代に気軽に出かけていきます。そこではママが悪さをして叱られていたり、パパが漫画を買ってもらえないせいで友達に苛められていたり…。そうやって、今現在の自分を叱ってくるパパやママにも、弱くて未熟で悩みの多い子どもの頃があったんだということを理解していくのです。8歳のマリオンと話した後、ネリーがお父さんと「昔の話をして」「もう色々話してあげたよ」「もっと大事な話が聞きたい」という会話をするシーンには、親も昔は自分と同じ子どもだったことをネリーが実感しつつあることが表現されています。
「結局、親だって人間だもんな」。これは私的にのび太の名言ベスト10に入る印象深いセリフなんですが、タイムマシンという特別な体験をしているのび太は、親の人間的な欠点も受け入れやすいのかもしれません。(ついでに言うと、タイムマシンはのび太を親の子ども時代に連れて行くだけでなく、反対に未来の息子や孫やもっと後の子孫を彼のところへと連れてくることもあります。自分と同い年の彼らに情けない姿を見られて責められたのび太は「ちょっとは僕の苦労も分かってよ」と思ったでしょう。そう考えると色々な視点から物事を見ることができるタイムマシンって改めてすごい道具です)
ネリーとマリオンは仲良く遊んでいくうちに、少しずつお互いの心の内を相手に打ち明けていきます。マリオンは遺伝性の病気を治すための大きな手術を控えていました。「今手術しないとお母さんのように悪くなるから」というマリオンのお母さん(ネリーの祖母)は日常的に杖をついていて、気分がすぐれないのかベッドで寝ていることが多いようです。
病気への不安や、具合の悪そうなお母さんと2人きりでいるマリオンの心情を思いやるネリー。「ママはいつも死ぬ話をしている」と話すマリオンの寂しそうな表情。「お母さんも、私と同じような不安な気持ちや寂しさを抱えていたんだな」ということを理解し、マリオンに対して同い年の友達としてだけでなく、今現在の自分の母親としても親しみを感じるようになります。
そして、マリオンに自分たちの秘密について打ち明けるネリー。そのとき、マリオンもまたネリーと同じように“友達であり、親子”という関係を受け入れます。お母さんが急にいなくなり不安を抱えているネリーに、「(私は)絶対に帰ってくる」と励ますマリオン。
けれど、何よりも恐れている自分のお母さんの死について、ネリーから伝えられたときのマリオンの気持ちはどんなものだったでしょうか。多分大部分は、それがずっと先だと知ったことでホッとする気持ち。でもママもやっぱりいつかは死ぬんだという事実を知った、不思議な気持ち。本当だったら知るはずのない、31歳の自分を取り巻く状況。
セリーヌ・シアマ監督の表現が素晴らしいのは、そういう本当は複雑な感情を説明しすぎないことですね。画面の中の静かなまなざしと穏やかな空気によって、土に染みこむ水のように気づかないうちに観客の心に言いたいことが伝わってきます。
大人たちには言えない胸のうちを打ち明けて、お互いに勇気をもらったネリーと8歳のマリオン。2人は友達としてはもう二度と会えないことを知っていて、お別れまでの限られた時間をめいっぱい楽しんで過ごします。ネリーとマリオンと、そしてマリオンのお母さんと3人で祝うささやかなマリオンのお誕生日パーティー。子ども達には今この瞬間がどれだけ素晴らしいものかが分かっているのです。ハッピーバースデーを歌い終わったお母さんに、マリオンが「もう一回」とおねだりするシーンは、マリオンの心情を想像するとクスっとなるような、じわっと泣けるような…。
お別れの朝にはネリーとマリオンは湖をカヌーで進んでいき、ちょっとした冒険のひとときを共有します。このシーンで流れる爽快感のある音楽が、のちにネリーが言うように2人で過ごした時間が「いい時間だった」ということを語りつくしています。マリオンは確かにネリーの母親ですが、それ以上に最高の友達だったんですね。
そしてマリオンは手術を受けるために病院へと旅立っていき、それを見送ったネリーが祖母の家に戻ると、そこには暗がりの中で床に座っているお母さんの姿が…。ネリーのお母さんはちゃんと彼女のところへ戻ってきました。映画は、ネリーがお母さんに「マリオン」と呼びかけ、お母さんが娘を抱きしめて「ネリー」とささやくシーンで幕を閉じます。
ネリーは確かに今目の前にいるお母さんの姿に、友達だったマリオンを重ね合わせているのです。そして「お母さんにも、私と同じで怖いことや悲しいことが一杯あるんだよね。大丈夫、私は分かってるから。これからも一緒に乗り越えていこう」という気持ちを持つことができたのでしょう。親を、自分と同じように昔は子どもだった存在として受け入れるということ。そのことが子どもを、親に頼るだけの立ち位置から一歩成長させてくれるのかもしれません。
観終わったあとも心の奥のどこかにネリーとマリオンが遊ぶ森の景色が残っているような、そんな詩的な余韻を残してくれる映画でした。
「燃ゆる女の肖像」はちょっと難しい雰囲気だったので、私にはこっちのほうが身近なテーマで合っていたかも。この監督が次はどんな物語を取り上げるのか、次回作もぜひ観てみたいです♪
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
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