またもやポスター画像だけで選んで鑑賞してしまいました。
「ザ・ピーナッツ・バター・ファルコン」といい、もはや私は空と帆を張った船が映ってたら何でも観てしまうんじゃないかというくらい、この絵面が好きです。
まぁ、自分の好きな世界観にどっぷり浸かれるっていうのが映画の魅力ですからね。観たら大抵「ああ、観てよかったぁ!」と思えます。
こちらの映画も1時間半くらいの短めながら、いつまでも余韻がのこる素晴らしい作品でした。海辺の町の、太陽の光が弱々しい灰色がかった風景が郷愁を誘います。
主役があの「バック・トゥ・ザ・フューチャー」でドク役を演じたクリストファー・ロイドってのがいいですね。ドクがタイムトラベルを繰り返した結果、最後にはこの時代のこの場所、そしてこのエンディングに辿り着いたのかなという不思議な感覚も味わわせてくれます。
それでは思いっきりネタバレの感想、いきます。
感想のまえに
2015年製作/アメリカ
時間:88分
監督:アーノルド・グロスマン
出演:クリスファー・ロイド、ジェーン・カツマレク、他
・おじいちゃんと少年の、心温まる友情の物語
・ポスター画像だと海洋冒険的な雰囲気がありますが、実際には船を作るのが主題です
・王道かつ現実味のない雰囲気は、サラッと観ただけだと薄味で拍子抜けかも。でもそういうジャンルだと認識してじっくり味わうとハマります
あらすじ
海辺の家で一人暮らしをしている、偏屈で孤独な老人アブナー。彼は元船長で、いつかもう一度大海原へ出ていくために、一艘の壊れた船を修理して日々を過ごしています。ある日彼の庭に一人の男の子が入ってきました。町の不良少年たちに追いかけられ、そこに逃げ込んだという孤児の少年リッキー。彼もまた今は叔父の家に預けられていますが、そこには自分の居場所がないと感じて寂しい毎日を過ごしていたのでした。
やがてアブナーの船の修理を手伝うようになったリッキー。アブナーは彼に自分の大海原への夢を語り、孤独な二人は不器用ながらも少しずつ友情を育んでいきます。しかし不良少年たちとのトラブルが続いたことで、叔父から厄介者扱いされていたリッキーは、自分がまた別の場所に追いやられることになるらしいと察していました。そしてアブナーの大切な船も、役所の区画整理課から厳しい目が向けられることになり…
感想
最近、どこか現実味のない、おとぎ話のようなエンディングに心惹かれます。
「それから2人はいつまでも幸せに暮らしました。おしまい」ってやつです。
いや、いつまでもって何?
王子様とお姫様が中年になって倦怠期になって子どもが反抗期になって年食って老々介護になっても?いやいやいやいや、絶対ないやん。騙されませんよ、私は。王子様とお姫様も3組に1組はその後離婚してるんでしょ?
って思っちゃう時期を過ぎて、人生の一番幸せなところで物語をぶった切って、その後お空にぶん投げるのも悪くないな…という感覚です。
映画でいうと、ファンタジーでもSFでもなく一応現実的なストーリーを追っていたのに、ラストに向けていきなり非現実味が加速していって、魔法みたいなエンディングで終わるという作品には、独特の魅力があります。
古い作品だと「小さな恋のメロディ」、それにインスパイアされた「シングストリート」、マジカルエンドを謳っていた「フロリダ・プロジェクト」とかも近いものがあるかな。
「テルマ&ルイーズ」も2人が走っていった先に崖がなかったらそんな感じ。
ラストシーンの後にどんな現実が主人公を待ち受けているのか。そんなことは考えなくていいし、そんな続きなんてものはそもそも存在しない。物語はそこでおしまい、めでたしめでたしで、その世界は終わりです。それが良い。
リアルの世界ではありえない、それは映画だからこそできる魔法なんです。
この映画「ファミリー・ビルド」は、まさにそのジャンルの作品でした。
主人公は社会にうまく馴染めず、家族との関係もうまくいかない老人・アブナー。
元船長で、今の生きがいは自分の手で一艘の壊れた船を修繕して、いつか大海原へ出ていくこと。
はっきりとした目的地があるわけではありません。
アブナーはただ今の自分には居場所がないと感じ、“ここではないどこか”へ行こうとしているのです。
そんなアブナーは案の定、周囲の人たちから“ちょっと頭のおかしい年寄り”扱いされています。
そしてもう1人の主人公は母親を失くし、施設を転々とした後に親戚の家に預けられることになった少年・リッキーです。家にも町の中にも居場所がなく、何となく風に吹き寄せられるようにして船を修理するアブナーのところに辿り着き、2人の交流が始まります。
リッキーは船を直して太平洋を渡るというアブナーの夢を聞かされ、修理の仕方を教わりながら彼を手伝うことにしました。
この映画の大筋はごくシンプル、孤独な2人が年の離れた友情を育み、周囲からの妨害を受けながらも船を修理して、“いつか大海原へ出る”という夢をひたむきに追いかけるストーリーです。
正直いうと、ありふれたというか、今まで何回も観たというか、次の展開が読めるというか…。展開が面白い映画にいっぱい触れてきた若い人とかが観たら「なんだこれ、つまらん」って思ってしまっても仕方ない気がします。
(ここから否定的なことを書く前に断っておきますが、私はこの映画めっちゃ好きです。ネガティブな要素に見えたものも、あのラストにつながることで輝く!と思っているので、同じようにこの作品が好きな方は、どうか気分を害さないでください)
特に登場人物のキャラクターとか、人間関係が薄っぺらく感じてしまうんですよね。
アブナーとリッキーを苦しめる不良少年たちとかまさにそう。量産型の悪役というか、
「観客に嫌われるチンピラっていったら、こんな感じだよね~」という製作者のイメージに服を着せただけ、みたいなキャラクターです。
アブナーのお節介な娘も、主役2人にちょっとした共感を示す役人も、善人ぶりつつリッキーを持て余す叔父さんも、誰もかれもが「これまでの映画で出てきた同じ役回りのキャラクターの上っ面をすくっただけ」みたいな印象です。
88分の作品だから、脇を固める人物まで深堀できないのは当たり前なんですけどね。
でも、この映画は主役2人のキャラクターもあまり深みはありません。アブナーはクリストファー・ロイドが演じているからベタな偏屈老人のキャラにも魅力が出ていますが、リッキーは典型的な“可哀そうな生い立ちで苦労してきたけど、心のまっすぐな良い子”のキャラクターで、ディズニーアニメかよって思ってしまいそう。
現実のあの年頃の男の子はもっとこう、何か違うでしょ。
最近観た映画だと「キックス」の主人公みたいな。同じいじめられっ子でも、「このスニーカーで一発逆転!周りを見返してモテまくってやる!」っていうギラギラ感が、人間臭くて良い。スニーカーに命かけてて、奪われたら自分より小さい子相手でも銃振り回して「俺のスニーカーだ!」って喚いてる、あの無茶苦茶ぶり。
でも厳しい世界で生きてる男の子なんて、あっちが普通だと思うよ。リッキーみたいな“不幸な境遇の子は頑張り屋で心がキレイに違いない”ってキャラを大人から押し付けられるほうが迷惑です。
そういう意味で、特に驚かされたり惹きつけられたりすることなく、ストーリーは淡々と進んでいきます。船を修理しながら2人はお互いの過去やこれからのことを話し、どうやらこのままでは2人とも近いうちに施設に送られることになりそうだという、悲しい共通点も見出しました。
はぐれ者同士がお互いの境遇を知って、少しずつ心を開いていくというお決まりの展開です。
不良少年が船に落書きしたのをリッキーのせいだと思われてしまって、2人の友情に危機が訪れる展開もベタ中のベタなので、特に驚きもハラハラもなく…。
せっかく2人で頑張ってた船の修理が役人に目をつけられて禁止されてしまうのも、この手のストーリーのお約束。
「14日後に船は解体されてしまう」となって、がっくり肩を落とすアブナーを「14日で船を完成させればいいんだよ!」とリッキーが励まして、そこから明るい音楽に合わせて一緒に作業するシーンが流れるのも王道でしたね。こういうシーンは、何回観ても良いものですけど。
この映画はここからラストにかけてが好きでした。
船は完成しますが、出航のシーンは描かれず、場面はいきなり空っぽになったアブナーの家の前の浜辺に移ります。
町の人や解体作業にきた役人、あげくは報道陣が集まって騒がしい浜辺には、アブナーの姿はありませんでした。最後にひと騒ぎしてやろうと浜辺に来ていた不良たちもポカーンとした顔で水平線を見ています。
アブナーは、無事船を完成させて本当に水平線の向こうへと行ってしまったのでした。
浜辺にはアブナーの義理の息子も来ており、リポーターは彼にマイクを向けます。
「彼のことが心配ですか?」
「心配かって?80歳の老人が手作りの船で海に出たんですよ」
彼は、アブナーの船の解体の決定を止められなかったといって妻のことを責められ、ご近所のお節介な老女にこうも言いました。
「海で独りで生きられると思いますか?」
仕事を終えたリポーターはうつむきながら「悲しい物語ね」と言い、ラジオのニュースでは海での捜索が続けられるも、アブナーの船を発見できる可能性は低いことが告げられていました。
つまり現実的にはアブナーの船出は、自ら姥捨て山に行ったようなもの、アブナーが以前口にしていたように「食物連鎖の一部になる」行為とみなされているのです。
そしてカメラは大海原と、帆を張った船の上でリンゴをかじるアブナーの姿を映します。登場シーンで背中を丸めて自転車にのって通りを走っていた姿から一変、海風を受けて背筋を伸ばす姿は堂々たるものです。
アブナーは自分の船の船長という、本来の姿に戻りました。町の人間たちに囲まれているときは“クレイジー”のレッテルを貼られていたアブナー。それはあの場所にいる限り、はぎ取ることができなかったのです。
たった1人で大海原に出て、やっと自分の居場所を取り戻せた…と幸せそうなアブナーですが、船の下から這い出てきたリッキーの姿を見て度肝を抜かれます。
リッキーは出航のどさくさに紛れて、船の中に隠れてついてきてしまったのでした。
もしこれがリアリティを重視する映画であるなら、アブナーは慌てて引き返し、リッキーを叔父と叔母の元へと送り返そうとするでしょう。ほとんどの人に「生存は絶望的」と思われている航海なのですから、リッキーのような子どもを連れて行くはずがありません。
親友だからこそ、現実的に彼の安全を真っ先に考えるはずです。
けれど少しして落ち着きを取り戻したアブナーは、リッキーに水夫の帽子を被せてニヤリと笑います。
「お前はすごい奴だよ」
そしてリッキーに船の操縦を教え始めるアブナー。たどたどしく舵を取りながら、それでも笑顔のリッキーを映してから、カメラは夕日の海に浮かぶ2人のボートを遠くにとらえます。
「お前が操縦してるんだぞ、チビ野郎」
と、楽し気に話すアブナーの台詞が聞こえて、映画は幕を閉じます。
(船の名前にもなったこの“チビ野郎”は、原文ではリッキーが叔父さんに言われてからずっとコンプレックスとしていた“bastard(私生児、ろくでなしという意味も)”になっています)
つまり一般の社会からつま弾きにされた“クレイジーな老人”と“厄介者の孤児”は、そんなレッテルを貼られて迫害されないような場所、ここではないどこか、虹の彼方の国を目指して水平線の向こうに消えていくのです。
もちろん現実的にはあり得ないエンディング。もしこの映画があと30分続いていたら、食料も水もなく漂流して苦しむ2人の様子を描かなくてはなりません。
おとぎ話だからこそ許される、その世界を“めでたしめでたし”で完全に畳んでしまう手法。
フィクションだからこそ、水平線の向こうには2人が幸せに暮らせる場所があるのかもしれないし、ひょっとしたら2人はずっと年も取らずに海を旅して生きられるのかもしれない。
それは誰にもわからないし、想像する必要はない。いえ、してはいけないんです。
だってそこで映画は終わっているんだから。この物語は、2人が海に出たところで終わりなんです。
アブナーは決して死なないし、リッキーは大人にはなりません。キャラクターは最初のシーンが映し出されてから、エンドロールが流れるまでの限られた人生を生きています。画面が真っ暗になればそれでおしまい。どんなに寂しくても、です。
2人は自分たちを受け入れてくれない世界を脱出して、最後に自由を掴みます。夢に見た地を目指す海の上で、彼らはやっと幸せになれたのでした。めでたしめでたし。
このファンタジーじゃないのにファンタジーのような終わり方が素敵なんです。
振り返ってみると、何となく薄っぺらく感じられた人物描写も、ある種のおとぎ話の登場人物だったからと思えば納得できます。村人とか魔女とか盗賊とかに個性や背景はありませんしね。
ただ語り手に与えられた役割を演じるだけの存在というのは、まさにこの映画のキャラクターたちの印象そのものです。88分という尺の中で、世界観を壊さず絶妙なバランスでこのエンディングにつなげていく手腕。マジで最高です。
とにかく私はこういう映画が大好き。最後にフワッと魔法に包まれるような、不思議な余韻が感じられます。ラストの海のシーンが、まるで古い映画みたいなフィルムのざらつきが感じられる画だったのもいいですね。
深夜に観たんですが、現実と夢の境目があいまいになるような、素敵な映画体験でした。
このジャンルの名作にはなかなか巡り合えないので、しばらくこの映画の余韻に浸っておこうと思います。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました♪
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