二コール・キッドマンって本当に魅力的な女優さんですよね。
何がいいって、「ムーラン・ルージュ」みたいな正統派美女の役だけでなく、この映画みたいな…何て言うか、汚れた感じの役を演じても、ちゃんとハマって尚且つ華があるんです。
あと「めぐりあう時間たち」のヴァージニア・ウルフ役もすごかったなぁ…あの目力。
この映画には私が大好きなマシュー・マコノヒーも出演してるんですが、二コール・キッドマンの体を張った演技の前に完全に存在が霞んでるよ!
というわけで二コール・キッドマンのファンにはぜひ観て欲しい「ペーパーボーイ 真夏の引力」のネタバレ感想、いきます。
鑑賞のまえに
2012年製作/アメリカ
時間:107分
監督:リー・ダニエルズ
出演:ザック・エフロン、二コール・キッドマンなど
・エログロで過激なシーン多めなので、鑑賞注意。性的描写も汚くて不快な感じ
・1960年代のアメリカを舞台にした、ノスタルジックでアートな映像は魅力的
・ストーリーは1人の青年がひと夏の経験を通して大人になるまでを描いた青春ものです
あらすじ
優秀な水泳選手だったジャックは悪ふざけでプールの設備を壊したことから退学になり、田舎町で父親の新聞社の雑用を手伝っていました。ある日、都会で記者として働く兄・ウォードが戻ってきて、この町で起きた殺人事件に冤罪の可能性があるとして取材を始めます。ジャックは彼らの運転手として働くことになり、事件の関係者であるシャーロットという美女と出会いました。
彼女は殺人犯として投獄されているヒラリーの婚約者であり、彼の無実を証明しようとするウォードたちに協力を申し出ます。ジャックは美しいシャーロットに恋をする一方、ヒラリーの下劣さを心底嫌悪しますが、ウォードと相棒ヤードリーの取材によってヒラリーを無罪にする証人の存在にたどり着き…
感想
若者のひと夏の成長を描く的な素敵映画は星の数ほどありますが……正直こんなに汚らしい映画は初めて観ました(決してけなしてはいません。大好きです、この映画)
ヒロインは美人だけど荒んでてイカれてて、セクシーというより下品な雰囲気。二コール・キッドマンの本気を見ましたね。そしてなぜか服役囚の男ばかりに熱をあげるという、病的な性癖の持ち主。婚約者の囚人と刑務所で面会したときの過激シーンは、一度観たら忘れられません。興奮すると同時に、心の底から性への嫌悪感が湧き上がってきます。
そう、この映画はとにかく性の描き方が汚いんです。
本来は、性的な成長も青春映画の重要な要素の1つ。ロマンティックに気持ちを高揚させてくれるものとして描いたり、あるいは現実的なセックスはこんなものかとちょっと幻想が覚めたり……色々な捉え方がありますが、アメリカの青春映画でこの「ペーパー・ボーイ」のような汚い表現はちょっと珍しくないですか?
この映画に強烈に不潔なイメージをもたらしているのが、ヒロイン・シャーロットの婚約者で殺人事件の容疑者であるヒラリーです。
暴力や暴言、澱んだ目。思いやりなど欠片もなく、全身から不道徳の悪臭がただよう、まるで蛇のような人物。沼地にあるヒラリーの住処では、外でワニの皮はぎをしていて血が滴っていたり、半裸の人々がアイスクリームのバケツを回し食いしていたり。ヒラリーは、そのバックボーンから、ピュアな若者に生理的嫌悪を感じさせるものがあります。
比較的裕福で恵まれた環境で生まれ育ち、そんなヒラリーとは別世界の人間のはずの主人公・ジャック。しかし新聞記者の兄を手伝って策人事件の調査に関わるようになったこと、そしてそこでシャーロットに出会ったことで、ジャックは感情的にもヒラリーの事件にのめり込むようになり、2人の世界は混じり合っていきます。それはさながら、透明な水のようなジャックの世界に、ヒラリーの不快な油が少しずつ流れ込んでいくように。(映画の冒頭のジャックが青く美しいプールで泳いでいるシーンが象徴的)
この映画はある意味で、1人の若者が世界の不潔な顔に汚されていくところを描いているともいえます。
それは誰でも大人になる過程で必ず通らなくてはならない通過儀礼で、そこをくぐり抜けたときにどのような人間になっているのかが、その人の本質を決めるといっても過言ではありません。
例えばジャックの兄のウォードは、冷静で理知的なジャーナリストですが、心の奥底にジャックと同じ傷つきやすい部分を隠しています。相棒のヤードリーは様々な人種差別にさらされてきたことで出世に執着するようになったタフな人間ですが、ウォードは一見彼と歩調を合わせているようで、実は相容れない優しさを抱えているのです。
そんな2人は最後にはっきりと決裂することになりました。世界の薄汚い部分を呑み込んで、その中で生きていく腹を決めたヤードリー。対するウォードは「善」と呼べるものを心のどこかで信じていて、世界に対してはっきりと割り切ることができません。母親代わりの乳母やヤードリーへの周囲の差別に心を痛め、ヒラリーの事件の調査も妥協することなく最後まで真実を追求しようとします。
世間を立派に渡り歩いている兄が、変わらない純粋さを持ち続けているというのは、ジャックの心の支えでもあったはずです。退学になり、将来も見えずに宙ぶらりんだったジャックが、それでも明るくいられたのは兄の存在があったからかもしれません。
年齢が上がるにつれ、ジワジワと汚く不快な沼が自分に迫ってきていることは、ジャック自身も感じています(特に父親と愛人との関係、愛人が家の中での母親の位置を奪おうとしていることへのジャックの焦りがそれを象徴しています)。
いつまでも澄んだプールで泳ぐ子どものままではいられない。周囲の世界はどんどん変化していく。自分もどんな大人になるかを決めなくてはならない。それでも、自分はきっと兄のように生きられるはずだという確信があったのでしょう。
そして大人になりかけているジャックに大きな影響を与えたもう一人の人物、シャーロット。ジャックの初めての本気の片想いの相手でありながら、彼女は決しておとぎの国のお姫様ではありません。
楽しそうに卑猥な話をしたり、ヤードリーとちょっと2人きりになっただけであっさりセックスしていたり……そんな彼女のありのままの姿を間近で見て、いつも心を傷つけられ、それでも彼女から目が離せないジャック。
シャーロットのまるで似合っていない純白のウェディングドレス姿を妄想して恍惚としているジャックは、大人の目から見ると滑稽ですらあります。
シャーロットもジャックが自分に恋していることには気づいていて、そのことを姉のような気持ちで心配する様子が見えました。彼女もウォードと同じ、すっかり荒んでしまったように見えて、どこかに少女時代の優しさを残しているのかもしれません。
刑務所にいる男にばかり執着するのも、自分に自信がないから?誰かにとって聖母のような存在になりたいという願望から?シャーロットは大人ぶって馬鹿にしているように見えて、内心ではジャックの傷つきやすさに共感しているのでしょうか。
ウォードとシャーロット。汚い世界に染まりながらも、いわゆる“大人”になりきれない2人が、ジャックを優しく見守っています。
しかし、現実世界の脅威を象徴する囚人・ヒラリーがジャックのすぐ背後に迫っていました。十分な捜査や法の手続きがなされていなかったことから、ヒラリーの冤罪を疑って調査していたウォードとヤードリー。しかし、ヒラリーの無実を証明するはずの証人が、実はヒラリー本人と口裏を合わせていたことが判明します。
ウォードは証言の裏を取るようヤードリーに言いますが、ヤードリーはヒラリーが無実であるという記事のほうが自分の手柄になるため、本社に嘘の報告書を提出しました。信じていた相棒に裏切られて自暴自棄になるウォードの姿は、見ているこっちの胸も痛みます。
これが立場が逆だったら、ヤードリーは「所詮そんなもんか」と受け止めて、また次のチャンスを粘り強く待つことができるんでしょうが…。やっぱり子どもの頃から人種差別にさらされ、そこから這いあがってきたヤードリーと、ある程度恵まれた白人の家庭で母親に守られながら育ってきたウォード&ジャックの兄弟とではタフさが違うな…というのが正直な印象です。
ヤードリーの裏切りによって危険な囚人ヒラリーは恩赦を受け、刑務所から解き放たれてしまいました。ヒラリーは真っ先にシャーロットの元を訪れ、彼女を半ば強引に連れ去ります。「沼の暮らしは嫌だ」と訴えていたシャーロットは、案の定ヒラリーの家での陰鬱な生活に耐えきれず、ジャックに手紙を出しました。
はっきり「助けにきて」と書いていたわけではないけれど…不幸な暮らしをしていることを伝えれば、自分を想っているジャックがきっと助けにきてくれると期待していたのでしょう。
シャーロットは本質的に男に依存するしかない弱い存在で、悪い意味ではお姫様タイプと言えるかもしれません。ですが彼女がはっきり甘えられる相手が犯罪者であったり、まだ子どものような男の子であったりと、普通の成人男性と深い関係を築くことができないことが伺えて哀しい気持ちになります。
ジャックは彼女を助けようとウォードを伴って沼地に乗り込んでいきますが、時すでに遅くシャーロットは言い合いの末にヒラリーに殺されてしまったあとでした。シャーロットを殺したばかりで興奮状態にあるヒラリーの様子を見て取り、危険を感じたウォード。引き返そうとしますが、ジャックはシャーロットの死を悟って激高し、ヒラリーに食ってかかります。
刀を出してきたヒラリーとジャックとの間に入り、ウォードは弟を守ろうとします。しかしウォードはヒラリーに押さえつけられ、あっという間に首を切られて殺されてしまいました。
最初にシャーロット、次にウォード。自分を守ってくれていた2人の命を次々と奪われ、ジャックは単身でヒラリーと向き合うことになりました。といっても野生動物のように危険な犯罪者と正面から戦ってジャックが生き延びられる可能性はほとんどありません。ジャックもそれを理解し、必死にヒラリーから逃げ回ります。
息をひそめて木の上に身を隠し、夜には水辺まで追ってきたヒラリーの目をごまかすため、自ら沼地に飛び込みます。ワニがうようよしている暗い水の中に潜んで、じっとヒラリーの様子を伺うジャック。この夜のシーンでは、彼自身が今ではまるで、目だけを水面から出すワニや、半分動物のようなヒラリーと同類であるかのような印象を受けます。
その最中に映画冒頭の続きであるかのように、青く澄んだプールでジャックが泳ぐシーンが挿入されます。それはまるで彼が幸せな少年時代に別れを告げる前に見た、一瞬の夢のようでした。まさにこの夜が、ジャックが世界と向き合うための大人としての通過儀礼だったということを暗示しているようです。
ただヒラリーをまいて逃げ出すだけであれば、ジャックはもっと簡単に沼地を脱出できたはずです。しかしジャックには固い決意がありました。
結局ジャックを捕まえることができず、夜が明けてヒラリーが家に戻ると、シャーロットとウォードの遺体が消えていました。ジャックはヒラリーに見つからないようボートに2人を乗せて、沼地の川を遡っていきます。そこは前日、まだ生きているウォードと一緒に、まるでトム・ソーヤーとハックルベリー・フィンのように笑い合いながらボートを走らせた川でした。
他人には見せられない弱さを抱えて大人になったウォードとシャーロットは、結局のところ世界の残酷さに打ち勝つことができずに命を落としました。タフでずる賢いヤードリーやジャックの父親とその愛人は、同じ場所で生き抜いています。
そうした大人たちを観察し、ヒラリーのような脅威や人種差別、ウォードの裏の顔、この世界の色々な側面を肌で感じたジャックが、その後どんな大人になったのかは描かれていません。ただし、あれだけ仲の良かった乳母が、彼の話をするときに複雑そうな表情をすることから、恐らくは以前の彼とはまったく違う人間になったのだろうと推測できますが…。
誰でもいつかは世界の残酷さや不潔な顔を知って、大人になっていきます。だからこそ、世界に汚される前の少年時代や青春時代の感情は二度と戻ってはこない、かけがえのないものに思えるのです。
そして乳母が最後に語っていたように、一度大人になってしまってからは、本物の恋をするのも難しいことなのでしょう。
ジャックのシャーロットへの想いが終始美しい映像で表現されている青春映画「ペーパーボーイ」。普段は甘ったるい青春物は観ない、というシニカルな大人にもおすすめの作品です。
映像はどれを切り取ってもウィリアム・エグルストンの写真作品のようで、それだけでも鑑賞に値しますよ!
最後まで読んでいただき、ありがとうございました♪
コメント