一応ジャンルはコメディ。
一見したところはワンシチュエーションスリラーですが。これが笑いに見えないのは、あなたが“彼らの側”、つまり奪う者だからかもしれません。
最近見た映画だと「ソルトバーン」がこれに近い雰囲気だったような。
確実にそこに立ち昇っているのに、奪う者たちは与える側の反逆の狼煙を、それと認めようとしない。
だって自分たちは特権階級だから。そういう気分に浸りきって、危険を察知する本能が鈍ると、こういうことになりますよ、と。
私は普通に労働者階級なので、わりと楽しめました♪
金持ちの客に対して一歩も退かないエルザちゃんが最高だね!
というわけで、ネタバレ感想いきます。
鑑賞のまえに
製作:2020年/アメリカ
時間:106分
監督:マーク・マイロッド
出演:レイフ・ファインズ、アニャ・テイラー=ジョイ、他
・貧富の格差とか階級社会がテーマになった映画です。まぁ、もっと個人的に1人のサイコパスシェフのストーリーとして見てもOK
・ワンシチュエーションスリラー好きにはおすすめ!いつものノリで楽しめますよ
・「美味しいお料理がいっぱい出てきそう♪」と思って観ようとしている人、間違った道に入り込んじゃってます、「幸せのレシピ」とかそういうの観ましょう
感想
「……え?ひょっとして、何か怒ってる?」
映画の序盤から、どこか態度がおかしいレストランのスタッフ達。全員が機械的な微笑みや能面みたいな無表情を貼り付けていて、庶民同士であれば普通に「あ、あれ?何か怒ってんのかな(汗)?」ってなりそうなもんですけどね。
主人公のマーゴだけは彼らの言動に違和感を抱いていて、不穏な気配を感じ取っていました。対する特権階級の人間は、自分たちに奉仕する者たちの感情なんてどうでも良いと思ってるから気づかない。金持ちの客たちはいつもの調子ではしゃいだり、偉そうな批評をしたりしています。そしてコースが進んでいくにつれて、愚鈍な客たちもようやく異変を感じとり、これまで自分たちに従順に奉仕してきた者たちの静かな怒りに気づくのです。
これ、最近そっくりの場面を観ました。以前ブログで感想も書いた、フランス映画の「デリシュ!」です。料理人に散々理不尽な扱いをしてきた貴族が、コース料理の最後で自分への反逆に気づくというラスト。
あっちは辛いことに耐え忍ぶ料理人にスポットを当てていて、最後の貴族への復讐もずいぶんソフトな感じだったので、スカッと系のヒューマンドラマとして見れましたけどね。この「ザ・メニュー」では料理人たちの苦労や心情を詳細には描いていない分、かえってその怒りの深さが伺い知れず、不気味な雰囲気。
「ザ・メニュー」は、まさに「デリシュ!」で描かれたような、フランス革命前夜の光景なのです。貴族たちの重圧に耐えかねて、反逆を決意した労働者たち。貴族たちは今まさに自分たちに襲い掛かろうとしている彼らを前にしても、その危険性にまったく気づいていません。シェフの場の空気を切り裂くような「パン!!」という柏手を聞いても、「カッコいいじゃん」ぐらいの反応で、むしろ感心する始末。庶民階級であるマーゴだけが、その攻撃性に敏感に反応しています。
私は実際の舞台を一度も観たことがないんですが、革命が起きる前のフランスで「セビリアの理髪師」という芝居が流行っていて、内容は思いっきり貴族を馬鹿にした風刺劇なのに、当の貴族たちが面白がってもてはやしていた…という「ベルサイユのばら」のエピソードを思い出しました。
「パンは庶民の食べ物ですから、皆さんにはお出ししません」とか言われて、ソースだけをチビチビ食わされているのに「斬新だ!」とか言っちゃってる金持ち客はまさにソレですね。
いや、お前らめっちゃコケにされてるんですけど?と。ここまでくると、どの金持ちが一番早く現実に気づくのか、バカ決定戦の様相を呈してきます。
ちなみに成金3人組はわりと事態を把握したり、行動を起こそうとしたりするのが早かったね。やっぱり生まれは庶民階級。まだまだ危険を察知する本能が完全には鈍っていなかったのでしょう。
対する料理評論家のオバちゃんは、やっぱり生まれたときから金持ちで美味しいものばっかり食べてきたんですかね?最後まで「私たちのための演出よ」とか呑気に構えてて、どんだけポジティブ自己中なんだよと思いました。この人が一番おフランスのバカ貴族っぽさが漂っていて、いい感じにイライラ。
美食という芸術の問題点は、すべてこういう馬鹿な金持ちに消費されるためだけに存在することです。それを享受できるのは、ヒエラルキーのトップに位置する人間だけ。その階層がみんな品格があって、芸術の価値を理解できる優れた人たちなのであれば問題はないかもしれません。でも現実はそうじゃない。希少な魚オヒョウを食べても、「うーん…タラか」というジャッジを下してしまう、芸能人格付けチェックで転落しまくりの馬鹿舌ぞろいです。
全人生を美食の追求に賭けてきたシェフは、ある日心のどこかで、自分がそんな現実に“怒り”を覚えていることに気づいた。これまで金持ちのために骨身を削って料理をするということを当たり前に受け入れてきたけれど、そんな料理人の在り方はおかしいんじゃないかと考えるようになったのでしょう。
それはまさに、フランス革命のまえにパリの市民階級の間で広がった啓蒙活動のようなものです。我々は当たり前のように特権階級に支配されてきた。今こそ立ち上がって貴族を倒し、自由にならなくてはならない。シェフも自分の店のオーナーを海に沈めたとき、恍惚とした表情で「これで私は自由になった」と言っていました。これは、金持ちのために最高の料理を作り続けないといけない、という鎖から解き放たれたことを意味します。
この映画には随所にキリスト教のモチーフが出てきました。なので、つい宗教的な考察へと誘導されそうになりますが、実際にはそんな壮大なテーマではなくて、本当にシェフ個人のごく人間的な“怒り”、ないし心の底からの叫びなんだと思います。そこにパラノイア的妄想がミックスされちゃって、シェフの中では聖書の教えに絡めた神の裁きっぽいストーリーが展開していたんでしょうね。(レイン・ファインズの名演が光ってて、シェフの目は「セブン」のジョン・ドゥそっくり)
ソムリエが極上のワインを評して言った“熱望と後悔”。一流の料理人になることを熱望して生きてきたシェフが、行き着いた先の道で激しい後悔を覚えたということ。そして自分をそこまで連れて行った金持ち連中に、最後に復讐してやろうという、いつの時代にもありそうな逆恨み的犯行なわけです。
だからこの日のメニューは、どれもシェフの人生をなぞるようなものばかり。「もっと俺の苦しみを知れ!俺の言葉に耳を傾けろ!」という、いかにも無差別殺人犯とかが抱え込んでそうな恨みつらみを感じます。
アミューズは島での暮らしを、タコスは幼少期のトラウマを、副料理長の死は料理人としての重圧を、意味不明な鬼ごっこは今も悔いている過ちを…というように、コース料理の名を借りて自分語りをやりたい放題です。それに皆が注目してくれて、称賛してもらって…気持ちよさそうだな、おい。
さて、ここで物語を動かすのが、主人公のマーゴと連れのタイラーです。この2人にはちょっと特殊な事情があり、まずタイラーは、実はシェフの計画を知ったうえで島に来たということが中盤で明かされます。彼はシェフに心酔しきっており、最後に自分もメニューの一環として死ななくてはならないと分かったうえで、料理をスマホでぱしゃぱしゃ撮ったり、美味しそうに料理を味わったりしています。
よく考えたら死ぬって分かってて写真撮ってるのって、ちょっと不自然ですよね。ひょっとしたら彼には、この日のメニューを伝説として語り継ぐために生かしておいてもらえるという筋書きが伝えられていたのかもしれません(絶対嘘だけど)。
彼は貴族階級でありながら、フランス革命時の啓蒙思想にのめり込んでいった、温室育ちのボンボン的なポジションでしょうか。料理人たちを称賛しているようでいて、本当の意味でのリスペクトなど持ち合わせていません。彼はシェフからその薄っぺらさを看破されて、自ら命を絶つことになりました。
そしてマーゴ。生業は娼婦で、贅沢に浸りきった金持ち達とは違います。何の恨みもないけれど、自分の支配下にあるわけでもない。完璧主義のシェフは、想定外の彼女の存在に戸惑います。
このマーゴこそ超重要人物。なぜなら彼女はほとんどすべての庶民階級の代表。そして私たち観客の代弁者でもあります。
つまり、「美食も革命もどーでもええわ。勝手にやってくれ」という立場の人。
彼女には高級料理の味は分からないし、金持ち達が何をそんなに有難がっているのかも、料理人たちが何をそんなに必死になっているのかも理解できません。
庶民にとっては芸術にも社会活動にも、そんな大した価値はないのです。
重要なのは今日の食い扶持、つまり生き延びることだけです。
彼女はものの見事にそれを体現していて、他の客がパニックを起こしているときにも、必死に生き延びるために頭を働かせています。ヒステリーを起こした客たちは、最終的にはシェフにコントロールされ、素直に死を受け入れるまでになってしまうのですが、マーゴは最後までしたたかに抵抗します。
その精神の強さは、どこからくるのか。それは自分の命より価値があるものなどないと知っているからです。生きることの目的はただ一つ、生きること。今このときをどうやって生き延びるか、それだけに全力集中なのです。
フランス革命のときにも、多分ほとんどの庶民はそうだったと思います。社会がガラっと変わって、巻き込まれて死にかけたり(映画の中のマーゴの状態)、生活が一層苦しくなったりしたと思いますが、そうした試練をくぐり抜けて必死に生き延びたのでしょう。
マーゴは、自分が料理に手をつけていないことを、シェフが気にしているという点を突破口にしました。「あんたの料理がイマイチだからよ、もっと食えるもん出しなさいよ!」という不遜な態度で、チーズバーガーをオーダーします。
このチョイスにもマーゴなりの悪知恵を働かせています。シェフが若い頃に安食堂の厨房で働いていたのを知り、料理をしていてノスタルジーを覚えるようなメニューをあえて選んでいるわけですね。
神格化されているシェフも、実はただの男。プロの女性との心理戦では防戦一方なのが面白い。この部分に、メニュー中盤の「男の過ち」がフリとして効いているような気がします。
つまりはこの映画では、究極の美食とか、権力とか社会的地位とか、芸術を追求する崇高な精神とか、宗教の持つ神秘性とか、あるいは革命による社会の変革とか、そういう人間が一生懸命作り出して仰々しく飾り立ててきた「価値」の化けの皮をはがして、ただ動物のように今この瞬間生き延びることだけを考えている、即物的なマーゴを勝利させたのです。
「テイクアウト」という奇策を思いつき、見事に悪夢のレストランから脱出したマーゴ。安全な場所まで来てから、バーガーをむしゃむしゃ頬張りつつ、燃え上がる建物を冷めた目で見ているラストが印象的です。彼女には彼らが何のために死んでいくのか、最後まで理解できないし、するつもりもないのでしょう。
「売春は人類最古の職業」という言葉を聞いたことがありますが、ある意味でもっとも原始的なスタイルを貫くマーゴだけが生き延びるという結末は暗示的です。色々な虚飾をまとった今の生活が壊されるとき、私たちにはマーゴのように今を生き延びるだけの力が残っているのでしょうか。
何か最近こういう映画が増えた気がしますね。
ひょっとして、何らかの革命の予兆か?なんて思ってしまいますが、もしもそんな激動の時代がきたら私は全然生き延びられる気がしないし、死ぬ前にせめて熱々のチーズバーガー食べたい…なんて考えてしまいました。
最後まで読んでいただきありがとうございます♪
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