安定のデヴィッド・フィンチャー監督。そしてロザムンド・パイクの本来の魅力が炸裂した怪作ですね。
「プライドと偏見」のロザムンド・パイクは純真なお嬢さんの役で物足りなかったよ。今回は「リバティーン」で魅せた、夫に顧みられない妻の病みっぷりをさらに進化させた感じ。ヘタレなベン・アフレックとの掛け合わせが最高です。
心に疚しいところがある全ての既婚男性に贈るネタバレ感想、いきます。
鑑賞のまえに
2014年制作/アメリカ
時間:149分
監督:デヴィッド・フィンチャー
出演:ベン・アフレック、ロザムンド・パイクなど
・結婚とか恋愛の幻想撲滅系映画。パートナーと一緒に鑑賞するのはやめましょう
・テンポが良くてキャラクターも魅力的なので、映画としては面白いです!
・デヴィッド・フィンチャーの監督作品の中では、比較的クセがなくて誰でも楽しめそう
あらすじ
結婚5周年の朝、ニックが家に帰ると妻のエイミーが姿を消しており、リビングには荒らされた跡がありました。警察に通報したニックは、エイミーが毎年記念日に仕掛けてくる宝探しゲームの手がかりを見つけます。警察はエイミーの失踪事件を捜査しますが、次第にニックに疑いの目を向けるようになりました。エイミーの血痕や日記、保険金や妊娠などの証拠が発見され、ニックを不利にしていきます。また、ニックが若い女性と不倫していたことも発覚します。
徐々に明らかになるニックとエイミーの出会いから現在の生活までの経緯。2人はニューヨークで出会ってすぐに恋に落ち、理想的な結婚生活をスタートさせました。しかし失業やニックの母親の病気といった不幸が重なり、次第に2人の完璧な結婚生活には暗雲が立ち込めるようになり…
感想
ある日突然妻が失踪してしまった男が、いつしか妻殺しの疑いをかけられ、次々と発見される証拠に追い詰められていくというストーリー。途中までは事件の真相が分からないので「この夫は無実なのかな?それとも本当にやったのかな?」と物語の展開に引き込まれていきます。この緊張感はさすがデヴィッド・フィンチャー監督です。
妻の日記に書かれていた夫の浪費や暴力の再現シーンを見ていると、本当にこの夫がどうしようもないダメ男に見えてきますからね。このへんはデヴィッド・フィンチャー監督の腕なのか、日記を書いた妻の文才なのか、はたまたベン・アフレックの演技力なのか(私はマッチョでクールなベン・アフレックより、女に振り回されるヘタレなベンが好きです)
結論を言ってしまうと、すべては失踪した妻・エイミーの策略でした。日記で夫のダメっぷりを書き綴り、さらに夫からの暴力に怯えていた振りをすることで、ごく自然に世間の同情を買って、いかにも夫が自分を手にかけたかのように見せかけたのです。(実際にはエイミーは普通に生きていて、自分の失踪を取り上げるテレビ番組を欠かさずチェックしていたりします。夫が死刑になりそうな展開を見守りニヤニヤしているエイミーの不細工っぷりがリアル!)
エイミーの狙いはただ一つ。夫・ニックを死刑にすることでした。…目的が夫を死刑にすることって何?書いてて怖いよ。映画を観ていると「一体何をしたら嫁にここまで恨まれちゃうの?」ってなって、次に「まぁ仕方ないか。浪費とか暴力とか、あげくの果てに若い子と浮気までしてたもんね」と自然に納得してしまう流れになります。
……が、しかし。冷静に考えてみると、浪費や暴力のくだりはすべてエイミーの日記の中だけの描写。つまりはエイミーの創作なんです。ということは、エイミーがこんな狂気の行為に走った理由はただ一つ。そう、夫ニックの浮気です。
何が怖いって、世間を味方につけるためにあれだけ夫の落ち度を書きたてていたエイミーが、日記の中で不自然なくらいニックの浮気についての記述は避けてるんですよね。ちょろっとでも「どうやら浮気もしているらしい」とでも書いておけば、番組の女性視聴者を100%味方につけられそうなのに。それは絶対に書かない。断固として書かない。
何故かって、それはプライドが許さないからでしょう。夫が自分に飽きて若い女に走ったなんてことは、何が何でも世間に知られたくないんです。
この映画を観た男性の鑑賞者はエイミーのことをサイコパスキャラみたいに捉えることも多いみたいですが、むしろ私は女という生き物のごく一般的な習性を煮詰めたキャラみたいに感じました。つまり「他の女に負けたくない」という、もはや本能に近いプライドです。男性からすると「日記で散々夫からひどい扱いを受けてることを書いてるのに、それと浮気と何が違うの?」と思うかもしれませんが、全然違います。
たとえばニックの浮気相手のアンディも、エイミー失踪後はニックからけっこう雑な扱いを受けています。奥さんと離婚するって聞いてたのに「その話は二度と口にするな」って怒鳴られても、一瞬シュンとなるだけですぐに受け入れる不倫の優等生アンディ。それがニックが公の場で「僕は妻を愛しています」と発言しただけで、秒で裏切ってニックの死刑賛成派に転向してしまうわけです。
女は「他の女に負けた、男に捨てられた」というのが許せない生き物なのです。現在浮気をしている男性、あるいはこれから浮気をしたいなと思っている男性の皆さんはこの点をよく理解しておきましょう。これを知っているだけで、浮気がバレたときの対処の仕方が変わってきます。
浮気がバレてしまったときには、意地でも「君だけは特別」感を出さなくてはいけません。そのスタンスだけは守りとおしておけば、許してはもらえなくても刺されることはないでしょう。決して奥さんと浮気相手を同列に扱うような発言をしてはいけません。エイミーも言ってたでしょ?ニックが初めて出会ったときに自分にした仕草、自分たちだけの愛のサインを、浮気相手の女にもしていたのが許せなかったって。
ニックにしてみればけっこう何度も使いまわしている口説きのテクニックだったのかもしれませんが、そういう秘密は墓場まで持っていくほうがいいでしょうね。
私はエイミーが人を殺すシーンよりも、ニックの浮気相手の女の子がテレビの記者会見で喋っているのを食い入るように見ているシーンのほうがインパクトがありました。テレビを見上げながら「あのアバズレ、今さら何を言う気なの」「何清純ぶってんのよ」ってブツブツブツブツ独りごと言ってる様子がめちゃくちゃリアル。もし友達がこんな状態になってしまっていたら、もうかける言葉もありません。
エイミーはアンディには表に出てきてほしくなかったんでしょうね。夫の浮気相手という存在は、それだけでエイミーにとって屈辱なのです。それも頭空っぽで若くて胸が大きいだけ(という風に、高学歴のエイミーには見える)の女の子。こんなのと自分の写真が並べられるだけでも許せない!と腸が煮えくりかえっている様子が手に取るように分かります。
でも入念に計画を立てていたエイミーが、世間にアンディの存在が知られることを想定していなかったのってよく考えると不思議です。(結婚記念日の宝探しでニックの不倫現場を巡らせたのは、あくまでもニック個人に対するメッセージでした)。ニックがマスコミからアンディの存在を隠しとおすなんて難しそうなものですが。
エイミーはプライドが高く、周りの人間に対しては見下すか利用するか、あるいは自分の自尊心を満たすために側においておくかの3つのスタンスしかありません。そしてこういう人って、エイミーに限らず現実にもけっこう大勢います。
彼らに共通しているのが「他人のことを底が浅いと決めつけて、自分は相手のことを全部分かっていると思い込んでいる」ということです。ニックの浮気で冷静さを欠いていたエイミーも、この思考パターンのままでいたのでアンディの行動を予想できなかったのかもしれません。
他人は誰かの駒として生きているわけではありません。みんな感情があるし、いつも同じ状態・同じレベルにとどまっているわけでもありません。ときに成長したり立ち止まったりしながらも、それぞれ自分の道を進んでいきます。それを一番実感できるのが、結婚生活なのではないでしょうか。
エイミーは世論を操るために結婚生活に関する嘘の日記を綴っていましたが、それとは別に逃避行のドライブ中に自分とニックの結婚生活を振り返る独白を展開していました。こちらはエイミーの本音と思っていいでしょう。
「ニックは私の陽気さやユーモア、気軽さを引き出し、一方私は彼に知性を与えて自分と同じレベルに引き上げた」…もうこのセリフがエイミーがどんな人間かをすべて物語っていて十分げんなりさせられますが、頑張ってもう少し耳を傾けてみます。「お互いに別人を演じていたときは幸せだった。でも彼は怠けるようになり、願い下げの男になり果てた」。
物事が思い通りにならない苛立ちは結婚生活に付きものです。実際、いきなりニックの地元に移り住むことになり、自分の貯金で夫に儲からないバーを買ってやったら、そこに義妹もたむろするようになって自分の悪口三昧って…エイミーが頭にくるのは当然でしょう。
でもそれは失業したり、ニックの母親が病気になったりと、状況が悪いほうに変化したことの結果です。結婚したら、みんな大なり小なりそういう状況の変化と闘っています。そんな中いつまでも変わらず幸せな2人でいるなんて不可能なので、相手に対して腹が立つなら感情をストレートに表現して「むかつく!」って言うしかないでしょう。
それを変に自分を相手より上の立場において「相手が怠けてるのが悪い」「願い下げのつまらない男になった」とか裁こうとするからこじれてしまうんですよね。どこかで自分なら完璧にニックをコントロールして理想の結婚生活を送れるはずだ、という傲慢さがあるから、こういう発想になるんだと思います。
何度もいいますが他人は自分の駒じゃありません。変化する状況のなかで相手の嫌な一面を見てしまうこともありますが、それを「私の思い通りにならない!キーッ!この役立たず!」って考えるのは傲慢です。
映画のラストは結局エイミーがニックの一枚上手をとったという形になっていますが、まぁニックは自分の魅力でエイミーを再び恋に落とし、見事に死刑を回避したので、どちらの勝ちかと言われると何とも言い難いですね。
人殺し女と何十年も一緒に暮らさないといけないのは確かにキツいでしょうが、ニックの振る舞い次第ではエイミーは理想の奥さんを喜んで演じてくれる可能性もあるでしょう。その関係を「互いに憎みあい支配する」ととらえるか、「お互いに相手の良いところを引き出せるよう努力する」ととらえるかは紙一重です。まさにそれこそが結婚生活。
(というよりニックなんてどうでもいいんですよ。浮気したのは事実だし、死刑になることもなかったんだから。可哀そうなのは最後までエイミーに利用されて挙句殺されてしまったデジーです。みんなデジーのことを忘れないであげて)
最後に付け加えておくと、この映画を観て「うわ怖~、こんな女に捕まったら最悪だな」と思った男性の皆さん、エイミーみたいな女性って、あなたが思っているよりもはるかに多くこの世に存在します。そう、あなたの隣にも…ね。
最後まで読んでいただきありがとうございました♪
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