「ベン・イズ・バック」ー理想の母親像は薬物の力の前では無力ー感想

サスペンス

私の中でジュリア・ロバーツのイメージは「プリティ・ウーマン」で止まっていたんですが、今はこんな役柄の女優さんだったんですね。この映画は本当にジュリア・ロバーツの演技あっての103分だったと思います。薬物中毒者本人じゃなく、その母親っていうのがいい。

薬物中毒の話って、日本に住んでいる一般人にはまだそこまでリアリティがありません。だから悪くすると堂々巡りのストーリーでイライラさせられたり、ぼんやり観てるうちにいつのまにか映画が終わってたりってなるんですが、この映画は大丈夫。ジュリア・ロバーツの演技のおかげで、最初から最後まで画面に惹きつけられます。

今回は映画の結末には触れないように感想を書いていくので、ぜひ未鑑賞の方も覗いていってください!

鑑賞のまえに

2018年製作/アメリカ

時間:103分

監督:ピーター・ヘッジズ

出演:ルーカス・ヘッジズ、ジュリア・ロバーツなど

・薬物中毒をめぐるストーリーで画面は終始重苦しい雰囲気

・親の愚かさみたいなものを突き付けてくるので、子育て中の人は鑑賞注意かも

・個人的には、よく比較される映画「ビューティフルボーイ」よりも話のテンポがよくて入り込みやすかったです

あらすじ

薬物依存症でリハビリ施設に入っているベンは、クリスマスイブの朝に突然実家に帰ってきます。母親のホリーは喜びますが、妹のアイビーと継父のニールはベンの存在に不安を感じていました。

ホリーはベンにクリスマスだけ家にいることを許しますが、その夜、家族が教会から帰ってくると家が荒らされて愛犬がいなくなっていることに気づきます。ベンは昔の仲間が自分への報復のために愛犬をさらったと考え、ホリーと一緒に犬を探しに行きます。ホリーはベンが戻ってきてから息子に対して精一杯理解を示そうと努力してきましたが、彼と一緒に街を巡るうちにベンの過去の罪や薬物依存の恐ろしい現実を目の当たりにし…

感想

「ベン・イズ・バック」「ビューティフルボーイ」「ビーイングチャーリー」と薬物中毒に苦しむ若者をテーマにした映画をたて続けに観ました。その中で私が個人的に一番好きだったのが、この「ベン・イズ・バック」ですね。

この映画は薬物中毒の息子よりも、むしろその母親の感情に重きをおいていて、さらにそれが何というか…めちゃくちゃリアルなんです。「親の我が子への無条件かつ盲目的な愛は美しい」とされていますが、でもそれって愚かさと紙一重なんだなっていうのがよく分かる。この映画を観ていてジュリア・ロバーツの馬鹿親っぷりにイライラさせられた人は多いんじゃないでしょうか。(でも実際に問題を抱えている裕福な家庭の母親ってこんな感じなんでしょうね)

映画は、薬物依存症の更生施設にいたはずの息子ベンが、クリスマスに突然家に戻ってくるところから始まります。ベンは母親の連れ子で、家には母親の再婚相手と2人の間にできた子ども達がいました。ベンと幼い兄弟たちの関係は良好なようで、サプライズで帰ってきたお兄ちゃんの姿に喜ぶ子ども達。ベンもこの弟妹と遊んでいるときには心からリラックスしていて、自然体で振舞っているように見えます。

一方、年長の妹アイビーは手放しで兄を歓迎してはいません。“出てけとは言いづらいけど、正直いて欲しくない”という気持ちが、はっきり顔に出てしまいました。(それは間違いなくベンにも伝わっています)家族の会話から推察すると、どうやらベンは去年も一昨年も何か問題を起こしてクリスマスを台無しにしたという経緯があるようです。

妻の再婚相手の反応はもっと分かりやすく、ベンにすぐ施設に戻るよう厳しく要求します。「まだ家に帰るのは早すぎる、今は危険だと君も納得したはずだろう!」正論です。妻の再婚相手はベンと血のつながりがなく、心情的にも一番距離があるので、常に冷静に物事を判断できるのだということがよく分かりますね。

このように、映画は出だしから薬物中毒の息子に対する家族それぞれのスタンスや心情を描き出し、複雑な人間模様で鑑賞者をストーリーに引き込んでいきます

その中で異様な輝きを放つのが、ベンの母親ホリーの笑顔です。ホリーはベンに対して精一杯「あなたが帰ってきてくれて嬉しい」という母親としての愛情を伝えようとしています。その一方で家族が自分の息子に向ける疑いのまなざしも、嫌というほど感じています。つまりホリーは背中で家族の怒りや不安や戸惑いを受け止めながら、ベンにはできるだけそれを感じさせないようにと明るい笑顔を向けているのです。自分が他の家族と息子の間に立って、この窮地を乗り切らなくてはならない。その切迫した様子が、ホリーのギラギラとした瞳に現れています。

そしてホリー自身も息子ベンの存在に不安を感じ、怯えてすらいるのが分かります。精一杯息子を愛する普通の母親を演じようとしているのに、アイビーに「ベンが戻ってきたと分かってすぐにジュエリーを隠したくせに」と暴露されるホリー。(薬物依存の人は薬の購入資金を手に入れるチャンスを逃しませんからね)そう、ホリーは決して本当に愚かなわけではないのです。「私の息子はいい子、馬鹿なマネなんてするはずない♪」と心から信じきっているわけではありません。

でも自分にそう言い聞かせるしかないのです。

だって、他に誰もベンのことを信じてくれる人がいないのですから。

正確にいうとベンの味方はホリー以外にもちゃんといます。“支援者”と呼ばれる外部の人がベンを精神的にサポートしてくれていますし、ホリーの再婚相手のニールだってベンが更生施設で依存症を治せるように大金を出してくれているんです。

でも彼らはベンを治したいと思っているからこそ、その態度は厳しく冷静です。ホリーは母親として、彼らとは違う態度で息子に接したいと考えています。優しくて理解がある母親、いつでも息子の一番の味方でいたいのです。そのような自分の中の理想的母親像を貫くことが、この状況においてホリーの心の支えになっているのでしょう。それはある意味でホリーの自己満足に過ぎず、親というものが見せる最も愚かな一面ともいえます。

実際には薬物の経験もないホリーに依存症のベンを理解できるはずがありません。薬物でもアルコールでもギャンブルでも、依存症の人間とそれ以外の人との間には越えられない壁があります。

最終的に家族を説得してベンと一緒にクリスマスを過ごすことができるようになったホリーですが、彼女はベンの滞在中に、いかに自分の上っ面(理想の母親像)が脆いものだったかを思い知らされることになります。

トラブルが起きる前で、ベンと2人でクリスマスショッピングを楽しんでいるときのホリーはまだまだ元気がありました。「あなたは自分の素晴らしさを忘れてる」「あなたは皆に慕われていてリーダーの素質がある。人の上に立つ人間なのよ」とベンに熱く語って聞かせるホリーの様子は、一歩離れたところから見ると何と滑稽なことでしょう。(現実のベンは薬物中毒なだけでなく、自身がディーラーとなって同年代の子ども達にドラッグを広めていました。そして結果的に近所の女の子を一人死に追いやっています

でもホリーはこうした考えを口に出すことで、目の前のベンが薬物依存症であるという現実を一生懸命受け入れようとしているのでしょう。確かに過ちは犯したけれど、自分の息子は乗り越えられる。大丈夫、大丈夫。これから先に明るい未来が待っている、と。

ですがベンの様子は次第に落ち着かなくなっていき、不穏な空気が漂いはじめます。やたら監視役のホリーと離れて別行動をとりたがるベン。客観的に見れば明らかに危険信号が灯っているのですが、ホリーは咎めることもなく「あなたは自分に必要なことが分かってる」と感心してみせる始末。これもホリーの「あなたの気持ちをちゃんと理解してるからね」という良い母親アピールです

しかし服を買うために入ったお店でベンが1人で試着室に入って鍵を掛けたところで、ホリーの余裕の仮面は崩れ去ります。中でベンが何をしているのか分からずにパニックになるホリー。試着室のドアをバンバン叩きながら「ベン、開けなさい!」と叫び続けます。ベンは家に隠してあったドラッグを密かに持ち出していて、ずっとその誘惑と闘っていたのです。結局その場ではドラッグに手を出すことはなく、ベンは試着室の鍵をあけます。そしてベンがドラッグを隠し持っていたことを知ったホリーは激昂するのでした。

依存症の人間を信じようとすれば、何度も何度も際限なく裏切られ続ける。それが家族が依存症になってしまったときの絶望の正体です。

そこから一度は持ち直したホリーですが、一家の愛犬が連れ去られ、ベンと一緒に犬を探しにいく道程でさらにベンを取り巻く現実を目の前に突き付けられることになります。どうやら犬をさらったのはベンに対する報復行為らしいということが分かり、2人はベンと過去の因縁がある人間のところを順に訪ねていくのです。

ベンがドラッグを手に入れるために体を売っていた高校時代の教師、ベンの売りつけたドラッグのせいで娘を失った半狂乱の父親。気丈に冷静に賢い母親を演じようとするホリーですが、あまりの現実に打ちのめされて嘔吐してしまいました。

事態が悪化するほど、ホリーの“理想的な母親”の演技は崩れ、矛盾やエゴがむき出しになっていきます

例えばベンのせいで命を落としたマギーについて話す2人の会話。ベンは「僕が彼女を中毒にしたんだ」と事実と向き合おうとしていますが、ホリーは「別に彼女を縛り付けて無理やり注射したわけじゃないでしょ」「彼女を喜ばせたいと思ったのよね」「彼女にドラッグが最高だと勧めたときは心からそう思ってたんでしょ(だから別にいいじゃない)」と、意地でも息子に理解を示す母親であろうとする余り、滅茶苦茶なことを言い出しました。

ホリーはこの数時間前にベンの薬物依存のきっかけを作った医師(ベンは怪我の鎮痛剤として処方された薬のせいで依存症に陥ってしまいました)に「苦しみながら死ねばいい」と呪いの言葉を吐いています。この医師がやったこととベンがやったことを比較すれば、どう考えてもベンのほうが罪が重いと思うのですが、ホリーにはもうそんな自分自身の矛盾に向き合う力は残されていません。

ここまでくるとホリー自身が論理的思考のできない薬物中毒状態のようなもので、そんなホリーとベンが一緒にいても事態は良くならないということがよく分かります。

ベンがドラッグに蝕まれてボロボロになっていくのと同時に、あまりに何度もベンに失望を味わわされたせいで、母親のホリーも内側から崩れかかっていたのです。

娘を失ったマギーの父親が酔いつぶれている姿を窓の外から眺め、他人事のように「哀れね」と呟くホリー。それは息子のベンの罪の証であり、さらに近い将来の自分自身の姿かもしれませんが、ホリーはあえて無感覚になることで彼の姿を正視することができたのでしょう。

ストーリーは次第に緊張感が増していき、最後にベンがどうなってしまうのかとハラハラドキドキさせる展開になっていますが、正直この映画に関していうとラストがどうなるかはあまり重要でないのかなと思いました。子どもが薬物依存症という現実を突き付けられた母親が必死に自分を偽り、見せかけの良い母親を演じ、それでも矛盾に耐えきれず崩壊していく過程にこそ重要なメッセージがある気がします。

薬物という悪は大きな力を持っていて、それは母親の我が子への愛情よりも強いのです。ベンはドラッグについて「愛されていると感じ、力がみなぎってくる。母さんですら、僕をそんな気持ちにさせることはできない」と語っています。その力はあまりに強く、ホリーがベンを愛しても愛しても、彼を薬物依存から救うことはできません。その無力感に苛まれたとき、母親はホリーのように盲目的になることで、何とかドラッグと息子との閉ざされた世界の中で自分の立ち位置を確保しようと足掻いてしまうものなのでしょう。

そしてそれは薬物に限らず、自分の力ではどうしようもない状況に追い込まれた人間すべてに言えることではないでしょうか。薬物依存症という現代の社会問題を扱いながら、その渦中で闘う人間の姿は普遍的なものです。ホリーを馬鹿な母親と笑うこともできますが、自分がホリーのような立場に置かれたときどこまで賢くいられるのか、どこまで踏みとどまれるのか。決して他人事とは思えない緊迫感が、この映画にはあります。

最後まで読んでいただきありがとうございました♪

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