この映画を初めて観たのは、多分小学生の頃。
当時は「世にも奇妙な物語」的な雰囲気で怖い話だな~なんて呑気に考えていましたが、2026年になって、この映画の“怖さ”は大分真に迫るものになってきています。
遺伝子検査…。もうバチバチに実装段階に入ってますからね。
この映画みたいに、胎児の遺伝子操作とか、遺伝子の優劣だけでキャリアが決まるという社会にこそなっていませんが、技術的に可能な以上は、いつ実現してもおかしくないのです。
だって、この映画で描かれている人間の性質や社会のニーズは、今の世の中と何一つ変わるところはないわけですから。
それでは、個人的にはヴォネガットの「プレイヤー・ピアノ」と一、二を争う“もうすぐ実現しそうなディストピア”、「ガタカ」のネタバレ感想いきます。
鑑賞のまえに
1997年製作/アメリカ
時間:106分
監督:アンドリュー・ニコル
出演:イーサン・ホーク、ユア・サーマン、ジュード・ロウ、他
感想
親が生まれる前の子どもの遺伝子を“最適化”し、社会が遺伝子の優劣だけで個人を評価する近未来のお話です。
主人公のヴィンセントは、信仰に篤い両親の考えにより、遺伝子操作を経ずに自然のまま生まれました。結果として、近視や心臓疾患という遺伝的ハードルを負うことになり、「新下層階級」に属して、進学や就職で差別的扱いを受けるようになります。
そんな困難な状況でも、ヴィンセントは幼い頃から「宇宙飛行士」という遺伝的エリートだけに許された職業に就くことを夢見てきました。そして遂には、事故で障害を負った水泳の元銀メダリストと契約を結び、彼の社会ステータスと“遺伝子”を借りるという違法な手段で、ロケットを木星の衛星・タイタンに送り出そうとしている大企業「ガタカ」への就職に成功します。
…昔、この映画を観たときには、逆境に負けずに勇気と努力で運命を変えていくヴィンセントがかっこいいな~というのが素直な感想でした。ラストのほうで遺伝的エリートの弟と再び泳ぎの勝負をするシーンとか最高ですよね。
「これ以上いったら戻れなくなる!」と怯える弟。それに対してヴィンセントが、「いつも岸に戻るときのことは考えず、ただ前に向かって進んでいた」というセリフ。幼いながらにあのシーンが胸に焼き付いて、たった一度観たきりのこの映画がずっと私のお気に入りでした。
ただ、大人になって見返すと、この映画の「運命を変えたサクセス・ストーリー」以外の側面が見えてきて、どうにもそっちが気になって仕方ないのです。
まず、「なぜヴィンセントがガタカでも指折りの優秀なパイロットとして活躍できたのか」ということ。同僚のパイロットはおそらくほぼ全員が、遺伝子操作を受けて生まれてきたエリート集団。そんな中で、遺伝子として劣っているはずのヴィンセントが…なぜ?
少年ジャンプの設定だったら納得できるんですが、この映画が伝えているのは、おそらく「友情・努力・勝利は素晴らしい」という話ではないでしょう。
ヴィンセント個人の努力や成功を称賛するのではなく、「なぜ彼が成功できてしまうのか」という違和感から、私たちは何かを読み解くべきだと思います。要するに、「遺伝子って実は大した指標じゃない」ってことです。
六本指のピアニストの演奏が人々を感動させていたように、遺伝的な特徴はただの要素であって、それをどの文脈に組み込んで、どう伸ばしていくかが重要なわけです。(ヴィンセントの弟とかは、「俺なら宇宙飛行士になれる」と豪語するような優秀な遺伝子を持っているはずなのに、今ひとつパッとしないキャリアを送っていましたしね)
そして、そこからさらに踏み込んで考えないといけないのは、じゃあ何で遺伝子のデータで人間の人生が決まるような社会になったのか…という問題ではないでしょうか。
結論から言ってしまうと、「だって、そのほうがラクだから」が、その答えでしょう。
遺伝子のデータだけで決めたら、企業にはもう採用試験も面接も必要ありません。
「この人とこの人、どっちを採ろう」と悩むこともありません。
育成にバカ高い費用や手間をかける必要もありません。
「この人と結婚していいんだろうか」と悩む必要もなければ、「この子の将来はどうなるだろう」と案じる必要もありません。
人と自分を比べて、どっちが上か下かと一喜一憂する必要もありません。
何だったら「自分はもっと努力すべきなんじゃないか」と思う必要すらありません。
もう、全部遺伝子で決まっているんですから。
それってものすごく省エネな社会なんですよね。もちろん、ダメなほうの意味で。
ただ、人間ってどうしても「ラクしたい」という欲求には逆らえません。
最近のテクノロジーやサービスの進化とか、もう根っこを辿っていったら9割はこのニーズに辿り着くんじゃないかというくらい、自動化・効率化・最適化、もしくは「もう頭使って考えたり悩んだり選んだりしたくない。誰か分かりやすい基準で正解を示して、代わりに全部決めてくれ」っていう思考停止スタイルを実現する方向に全振りしています。
そこに、今の時代の高精度の遺伝子検査の技術を掛け合わせれば…
アッという間に「ガタカ」の社会の出来上がり。
「ガタカ」の遺伝子格差社会は、紛れもなく今の私たちが生きているリアルと地続きでしょう。
「合理的」という言葉がもてはやされるようになって久しいですが、本当の意味で「合理的に正しい判断」を下すためには、ありとあらゆる角度からの検証、漏れのないデータが必要になります。シャーロック・ホームズも言ってますけど、「粘土が無ければ、煉瓦は作れない」のです。
それ以外の「合理的」は全部、とりあえず大多数を納得させるための「合理的っぽい何か」です。「ガタカ」の中の社会通念がまさにそれ。皮肉なことに、頭が良くて優秀な人ほどとっくの昔にその薄っぺらさに気づいています。(ヴィンセントの上司がおそらく彼を庇って殺人を犯したことも、遺伝子検査の担当者がヴィンセントの嘘を知っていて見逃してきたことも、そのことを暗示していると言えるでしょう)
人間が秘めた複雑な可能性を、「遺伝子」というごく一部のデータだけで判断できるわけがありません。誰がどう見ても、データ不足です。そんなことはちょっと考えれば…いや、考えるまでもなく分かるはずです。
にも関わらず、その事実が無視されているのは、大多数にとって「そのほうがラクだから」。
その方向に突き進んだときに、社会がどんな歪な形になって、そこでどれほど苦しむ人がいるか想像することもない。人間は今も目の前の「ラク」だけを追求し続けています。
この映画は、そんな「短期最適化の罠」を、私たちに警告してくれているのだという気がしました。昔は、薄明りに包まれた映像や、空に上がっていくロケットのシーンが印象的でしたが、自分自身も社会に出てみると、また見えてくる景色が変わるものです。
でも、理屈抜きにしてヴィンセントの挑戦者としての人生を描いたヒューマンドラマとして観ても、素直に感動できる名作です。特にヴィンセントに遺伝子を提供している元エリート・ジェロームが陰ながら彼を支えてくれる姿は胸に沁みます。遺伝子ですべてが決まる世の中は、遺伝的エリートたちにとっても幸せな世界ではないんですね…。
よく設計されたシステムの中にいると安心できてラクに思えるかもしれないけれど、人間は決してそれに満足できない生き物。自分で可能性を切り開く主人公感が必要なんだと、つくづく考えさせられます。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

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